FC2ブログ
  福岡海星女子学院高等学校 福岡海星女子学院附属小学校 福岡海星女子学院マリア幼稚園  

【小学校の校長室から】海星の修学旅行  校長 山田 耕司

○ 「福岡海星小学校のルーツを探る旅」は、生命の尊さと平和に気づく旅です。そして島原⇒外海⇒長崎市内⇒熊本を巡り、子どもたちが神様から与えられた「使命」が私にもあることに気づく旅でもあります。
 私は修学旅行の事前授業で6年生に1枚の写真を提示しました。「亡くなった弟を背負い焼き場で順番を待つ少年」です。この写真はアメリカ占領軍のカメラマンジョセフ・ロジャー・オダネル氏(23歳)が原爆後の長崎で撮影されたものです。原爆資料館に展示されています。「この写真の前であなたが考えたことを記録してください」と付け加えました。        

○ グローバル情報化社会の中、新しい令和の時代が始まりました。AI・ICT社会は人類が未経験な分野で予測不可能な時代の到来でもあります。現在、地球上のすべての国が西洋文明・文化の影響下で日々の営みを進めています。アジア大陸の東端に浮かぶ島国日本の長い歴史には、「西洋文明との出会い」が3回記録されています。それは、①キリスト教との出会い(室町時代・戦国時代 470年前) ②工業との出会い(幕末明治維新 251年前) ③民主主義との出会い(太平洋戦争終戦 74年前) です。私たち福岡海星女子学院附属小学校のルーツは、この3つの「西洋文明との出会い」と、深い関わりがあります。              

〇 日本にキリスト教を伝えたのは、フランシスコ・ザビエルです。1549年のことでした。群雄割拠の戦国時代の只中、鹿児島に上陸したザビエルは、島津氏の許可を得て150名に洗礼を授けます。続いて有力な大名を頼って、鹿児島から平戸・京都・山口・大分と布教の足を延ばして行きました。南蛮貿易に関心の高い九州をはじめとする多くの大名は、競ってキリスト教の宣教師や貿易商人を受け入れました。      
 2018年に「世界遺産」に登録された「長崎・天草潜伏キリシタン関連遺産」は、長崎におけるキリスト教の歴史「キリスト教の伝来と繁栄、弾圧と潜伏、復活・信仰の継続」が世界のキリスト教徒に大きな影響を与えたことが登録の趣旨です。これらの中には、私たちの修学旅行コースに含まれるものがあります。それは、島原半島の原城跡、有馬キリシタン遺産記念館の展示(西洋文化が開花した有馬領日野江城・遣欧少年使節)、長崎市外海地区の「出津教会と集落」(黒崎教会と枯松神社)、大浦天主堂(信徒発見)、日本26聖人記念館(殉教・潜伏・栄光)の展示です。 

○ 長崎市の外海地区(黒崎・出津・大野)は、日本のキリスト教発祥の地と言われます。259年間の弾圧と潜伏(江戸~明治初期)復活・発展を経験してきたキリシタン(ポルトガル語でキリスト教徒)の里です。この地は、キリシタン大名であった大村純忠の藩領とお隣りの佐賀藩の飛地が混在する地域で、徳川幕府の直轄地である天領(浦上渕村・浦上山里村・長崎村)に接していました。その殆どが西彼杵半島の丘陵地で、領民は雑穀栽培といわし漁で、生計を立てていました。年貢(租税)収入の大変少ない過疎地・荒地でした。両藩にとってはあまりに魅力のない土地でした。この外海の村に行くには道がなく長崎や平戸の街からは海路を使わざるをえませんでした。そのため江戸中期には生き残っていくために、五島列島や平戸方面の島々に移住をしいられる人々も多くいました。これらの地にも、ひっそりとキリスト教が伝わって行きました。

○ 鎖国が終わり、長崎が開港されますと、英・仏・露・蘭・米の領事・商人・船員に同伴し、中国や沖縄で宣教の準備をしていました宣教師たちが来日します。コンヘソーロ(告白を聴く神父)を待っていた浦上の潜伏キリシタンが、東山手のイギリス寺に続いて南山手のフランス寺(大浦天主堂)を訪れます。一人の婦人が近づき、「ここにおります私共は皆あなた様と同じ心です。」「サンタ・マリアのご像は何処ですか?」とプチジャン神父に尋ねます。      

○ 私たちの福岡海星小学校は、約130年前、南インドの貧しい人々やハンセン病の人々と共に生きたいために、シスター マリ・ド・ラ・パシオンがフランスに修道会を創ったことに始まります。
 プチジャン神父らとキリスト教布教のためにパリからやって来たコール神父は、熊本や福岡の筑後地方を担当していました。コール神父は熊本の本妙寺下で多くのハンセン病者に出会います。本部に救済資金と奉仕する修道会の派遣を願い出ます。多くの修道会が辞退した中、マリ・ド・ラ・パシオンの下から5人のシスターが熊本に派遣されます。シスター方は、熊本に腰を落ち着けてキリストの愛の活動を始めるために、マリアの宣教者フランシスコ修道会の日本で最初の修道院を開設しました。        

○ シスター入江(前校長様)のお話です。
 修道会は15,000坪(本学院は22,000坪)の土地をフランスの信徒や篤志家の援助によって購入しました。
 先ずハンセン病療養施設「待労院」を設けました。収容人員は35名でした。太平洋戦争後には130名に達しました。療養者の一組に赤ちゃんが生まれたので隔離して育てるために乳児院が始まりました。100名収容しました。続いてこども園ができました。ここも100名を収容しました。ある時院内の木の下に一人の老人が捨てられていました。その人のために養老院が始まりました。診療所もあります。こうしてここに500人が暮らす「聖母の丘」ができました。ここの墓地に5人のシスターの内3人の方とコール神父様が眠っておられます。
 この後、6年生はシスター入江の案内で、役目を終えて閉館した「待労院」の展示資料館を見学しました。

○ 慈恵病院荻原きよみ看護部長のお話です。
 「待労院」の診療所は発展して慈恵病院になりました。この慈恵病院は熊本で著名な産婦人科病院です。
ここに先進国ドイツに倣いカトリックの精神の下「こうのとりのゆりかご」(通称赤ちゃんポスト)が平成19年に設置されました。12年間で144名の赤ちゃんを受け入れました。昨年度は7名です。その内孤立出産児は4名でした。特に機能している「SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談」には、県外からの相談が70%以上です。今は電話よりも圧倒的にインターネット相談が多いのです。15歳未満の出産、孤立出産、子どもの命を守ることと出自を知る権利の両立等の課題があります。赤ちゃんのために特別養子縁組を働きかけます。 
 この相談は平成26年には前年にテレビドラマの放映がありましたので4036件にも上りました。日本ではここの1箇所ですが、ドイツでは100箇所、パキスタンでは300箇所以上あります。救いたい多くの命があります。

○ 6年生は、なぜこの学校に自分は呼ばれたのか。それを知るために3日間歩み続けました。
修学旅行で6年生が詠んだ俳句を一部紹介しましょう。

平和像夏日の中に輝いて

初夏の光差し込む祈りの場

炎昼に光る太陽てかてかと             

初夏や学びが実る修学旅行        

夏の日が赤ちゃんポスト照らしてる

夏日受けステンドグラス色豊か       

国宝が映える青空夏来たる         

天主堂潮の香りが夏知らせ

教会のステンドグラス何語る

教会のステンドグラス日を返す

聖人の熱き想いや雲の峰          

噴水が聖人の死をたたえてる      

葉桜に毛虫一匹修道院

初夏の日がステンドグラス貫いた

初夏の日差しさしこむバスの中 

麦秋や実りみのった佐賀平野     

大浦の天主堂見るマリア様

船底にイルカがくるり夏日透け         

碧天の外海に吹いて南風

炎天が広がり水面輝かせ

若葉からふんわり照らす夕焼けかな

広々と麦秋の中帰り道

五月晴れ折鶴囲む平和像

日目で「きゃあないたあ」のバス帰り *唐津弁

教会のステンドグラス夏日受け

炎天の太陽光る天主堂

星涼し見渡す長崎の夜景

車窓から夕焼け染める背振山

夏日燦(なつびさん)土鳩啄(ついば)む爆心地         福永 青水

天国(ぱらいそ)の夕日を見ずや地は枯れても     水原 秋桜子

原爆許すまじ蟹(かに)かつかつと瓦礫(がれき)歩む    金子 兜太