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  福岡海星女子学院高等学校 福岡海星女子学院附属小学校 福岡海星女子学院マリア幼稚園  

【卒業生近況】ザビエルと高山右近 校長 山田 耕司

ザビエルと高山右近
校長 山田 耕司

○ 2月の中旬、本校恒例の「学芸会」が催されます。音楽表現・民話劇・英語劇・創作劇・音楽演奏と共に6年生が宗教劇を公開いたします。
 この宗教劇は、海星小学校で学んだ宗教の学習のまとめとして実施しました「修学旅行」(キリスト教と海星のルーツを訪ねる旅=長崎外海町⇒長崎市⇒島原半島⇒熊本市)で取材をしましたことから、6年生と6年担任で題材を決定し脚本を書いたものです。毎年新作が発表されます。

○ 今年は、「強い信念~高山右近物語~」です。
皆様ご存知のように、日本にキリスト教を伝えましたのはフランシスコ・ザビエルです。
 フランシスコ・ザビエルは、1506年スペインのナバラ王国のザビエル城で貴族の五人兄姉弟の末っ子として生まれました。ナバラ王国はフランスとの国境ピレネー山脈の南面麓に位置します。学者であった父(彼が9歳の時に病死)の薫陶を得て、当時欧州にあった三大学の一つパリ大学に進みます。しかし在学中に母と姉を亡くし心の支えを失います。その深い悲しみの中で聖書の一節が、ザビエルに響きました。
 「たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何になるだろう」(マルコ8・36)
 同室のイグナチオ・ロヨラから、繰り返し聞いたイエスの御言葉でした。ロヨラは自分の一生をキリストに捧げる司祭(神父)になるために、大学で勉強をしていました。ザビエルはロヨラに導かれて、自分の本当の幸せは司祭になる道だと分かりました。ロヨラとザビエルを含む7人の仲間は、キリストのように貧しく、キリストのような愛で全世界の人々にイエスの教えを伝えるために、「イエズス会」という修道会をつくりました。(現在上智大学・上智福岡中学校等経営)

○ ザビエル35歳の時、ローマ教皇大使としてインドへの布教に旅立ちます。インドを基地にアジア、インドネシアでの布教にあたります。そこで日本の武士ヤジロウと出会ったことが日本への布教に彼を動かせました。1549年8月15日鹿児島に上陸して2年と2月、ザビエルによってキリスト教の種は戦乱の世の九州・山口に播かれていきました。

○ 高山右近は、1553年に摂津国(大阪府)高山に生まれます。ザビエルが日本を去った2年後です。
右近は、宣教師ルイス・フロイスが記した「日本史」の中で『教会の柱石』と呼ばれ徳川家康の動向を記した「駿府記」では『伴天連の大旦那』と呼ばれています。ザビエルに続いて外国からやって来た宣教師たち
のリーダーと時の権力者(信長・秀吉・家康)の近くにいたために、教会の方向性を見極め、かじとりをする上で、大きな役割を教会の良心として果たしました。

○ 右近は「利休七哲」の一人で文化人としても人望がありました。千利休・蒲生氏郷・瀬田掃部・古田織部は右近を通じてキリスト教に感化されました。細川忠興の妻ガラシャや黒田官兵衛も同じです。
 右近の茶室は祈りの間であり、茶を饗しつつ友人と人生と語り、信仰を語ったと伝えられています。そう言えば、お茶のお点前とミサ聖祭の所作が類似していることにも興味を覚えます。戦国の世に新しい時代を切り拓こうとした人々が右近を通じてキリストの教えに出会ったのです。「いかなる困難にあっても福音に従って生きる。日々の葛藤の中で神の愛に応えて信念をもって生き抜く。」と。

○ 1月22日の各紙朝刊に「高山右近列福」を報じる小さな記事が載りました。ローマ教皇フランシスコが、高山右近を「福者」に列すると言う内容です。「福者」を記念すると言うことは、「キリストに従って神に至る道を歩むとは何か」をその人によって知ることです。
 ユスト高山右近(ユスト=義の人)は、信長・秀吉・家康に仕え、誰もが己の力・才・謀略をもって、上に上に上がろうとした激動する時代に、翻弄されながらも確固とした信仰者として一人黙々と階段を降りていきました。そして信仰のためにフィリピン・マニラに追放流罪となり、その地で生命を終えました。
 さて、学芸会で6年生は宗教劇を通して、私たちにどのようなメッセージを届けてくれるのでしょう。