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  福岡海星女子学院高等学校 福岡海星女子学院附属小学校 福岡海星女子学院マリア幼稚園  

【小学校の校長室から】平成25年9月2日 校長 山田耕司

ル ル ド と 十 字 架    
       ~聖母マリア と アシジのフランシスコ~

○ 本学院創立50周年の記念事業として学院前庭にルルドの岩窟がつくられました。在校生をはじめ海星ファミリーの祈りと集いの場として愛されることを願います。本学院は、マリアの宣教者フランシスコ修道会によってつくられました。この修道会の活動は、聖母マリアとアシジのフランシスコの生き方に倣います。「神を愛し、人を愛す」。特に弱い立場の人に寄り添い、清貧に生きることを旨としています。         
○ カトリックは、マリア様をイエス様の母として、神様への祈りの取次者として大切にします。
「マリアさまと共に50年」。その感謝とこれからの益々の発展を願い、記念事業として聖母マリアが出現されたルルドがつくられました。

○ 聖母マリアが出現されたとローマ教皇庁が認めています事例が三つあります。フランスのルルド、ポルトガルのファチマ、メキシコのグアダルーペでの出来事がそれです。 ルルドはフランスとスペインの国境ピレネー山脈の麓にあります小さな村です。(現在は巡礼地となり人口15000人)  1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタが郊外の洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれています。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を聖母とは思っていませんでした。何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに婦人は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げました。家が貧しくて学校に通えず、フランス語の読み書きも出来なかった少女の前に以後、聖母が18回にもわたって姿を現したといわれ評判になりました。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられました。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂は、やがて巡礼者でにぎわう大聖堂になりました。
ベルナデッタ自身は、聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年に修道院に入ってシスターとなり、外界から遮断された静かな一生を送りました。ベルナデッタは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていました。

○ 長崎県の五島福江島にあります井持浦教会に日本最初のルルドがつくられましたのは、1900年のことです。フランスの宣教師ペルー神父の指導のもと、五島各地から岩石が集められました。完成後、ペルー師はルルドの水をフランスより取り寄せ注ぎ入れ、聖母像を洞窟に収めました。  1865年大浦のフランス寺(大浦天主堂)を訪れた浦上村の杉本ゆり等は、プチジャン神父に「サンタマリアのご像はどこですか」と尋ねます。世界宗教史上の奇跡「信徒発見」の出来事です。彼らの潜伏250年間の信仰の重要な支えはマリア様でした。その後、マリア様を慕う人々によって各地の教会や学校、施設にルルドがつくられました。

○ 本学院のルルドは、本学院と深いご縁のある熊本市の高木石材によってつくられました(本学院理事高木神父、本修道会員シスター高木姉妹のお里です)。聖母像は大理石の彫刻です。作家はフランス在住の彫刻家高木基美子氏です。ルルドの前には10個の薔薇御影石のベンチが設けられました。高木さんの寄贈です。

○ もう一つの記念事業として小学生全員による共同制作物「アシジのフランシスコのサン・ダミアノの十字架」の準備が、図工の松永先生を中心に進められています。校舎の外壁に掲げますので、タイル製になります。佐賀の岩尾産業の陶芸職人さんと打ち合わせを重ねながら進められています。サイズは280cm×200cmの大きさになります。

○ 「清貧の聖者アシジのフランシスコ」は、富裕な商人の一人息子として生まれ、放蕩生活を送っていましたが、1206年にこのサン・ダミアノ教会の十字架から「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい」という神の声を聞き、一人で石を積みながらこの礼拝堂を修復します。その過程でハンセン病者とも出会います。その後、父の財産をすべて投げうって、私財を貧者に分け与え、人生を通して「清貧の精神」を唱え修道生活を送ります。その起点が、この教会から生まれたのです。
 人を巡る幸せは、さまざまにあります。「あなたは、どの幸せを選択しますか。どこにあなたの心を置きますか」と、この十字架は問いかけます。本学院の創立記念日は、マリアの「無原罪の御宿り」の祝日12月8日です。この日に50周年記念式典と感謝のミサを献げます。