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  福岡海星女子学院高等学校 福岡海星女子学院附属小学校 福岡海星女子学院マリア幼稚園  

【小学校の校長室から】平成24年10月28日 校長 山田 耕司

神さまがご入り用です


○ 毎日曜日、カトリック教会で使われるミサのしおり「聖書と典礼」10月21日号に、私たちの修道会のシスター岡野のコラムがありました。その内容を紹介します。


○ 無力な自分をささげて
 イスラム教国であるパキスタンでは、ことばでの福音宣教(キリストの教えを広めること)は許されていません。しかし、私がいた聖ラファエル病院は、60余年、宗教を問わず、困難な状況にある、特に女性たちに手を差し伸べています。当地では、男児を出産しない女性は離婚されることがあります。また、帝王切開の費用を用意できない人もいます。保険制度や生活保障がないのです。貧しい多くの人は、医療を受けることなく、家族に看取られ亡くなっていきます。
 そのような現実に加え、私(医師)は、マイノリティー(少数者・蔑視を受ける人)であるキリスト者であり、また身内を優先しがちな文化の中で、よそ者でした。しかも男性優位社会では、未婚女性(シスターはキリストの花嫁になることですから、この世では一生独身です)であるということが、社会的には非常に不利であるということを、さまざまな活動の中で辛く感じました。その度に、ここに私を遣わし、いつも共にいて下さる方(神さま)へ、「なぜ?」と意味を問いかけること、それが支えでした。
 2008年に日本に戻り、聖母病院(東京・新宿)で働くようになりました。経済的には、日本はパキスタンの比ではなく安定していますが、別の意味でさまざまなケアを必要とされる方が多いことにも気づかされます。療養の場を求めておられる高齢者の方や、辛い病状を抱えながら、心安らかに過ごせる場所を探して苦労しておらる患者さんやそのご家族と、出会うことも多くあります。
医療チームの一人として、できる限りの努力を続けていますが、私は、パキスタンでも日本でも、多くの困難の中にある人々を前に、無力さを痛感しております。自分の未熟さや医師としての力不足で、出会う人々を傷つけ、また誰かの一言がいつまでも気にかかり、その人を恨み、避けたりします。このような私が、どんな「よき知らせ」(キリストの福音)を伝えているのか、と思うと暗澹(あんたん)たる気持ちになります。
 しかし、私がどんな狭量でも力不足でも、共におられる方(神さま・キリスト)の温かさは変わりません。どのような場合でも、神さまが見捨てない私自身を、人々の前に差し出し続けること、それが「よき知らせ」であることを毎日、信じ、選びなおしたいと思います。これだけが私にできる、変わらぬ愛を示してくださる神さまへの感謝の応えです。         
                            (マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野 真弓)

○ どなたもマザーテレサをご存知でしょう。マザーテレサと同じように、シスター岡野と同じように、世界のあちこちで多くのシスターがキリストの福音を伝えるために働いておられます。本校のシスター島村も、かつてはエジプトの知的障害児の学校で働かれ、今は本校のこどもたちやお母さま方に、直接、変わらぬ愛を示してくださる神さまの教えを伝えておられます。

○ こどもたちは、時々神さまの愛を受けとめる目や心が曇ることがあります。嘘をつき意地悪をし、喧嘩をしたりなまけたりします。それは未成熟なこどもですから。 
 しかし、私たち大人は知っています。わかっています。その大人も、シスター岡野のことばのように、「自分の未熟さや教師としての親としての力不足で、出会う人々を傷つけ、また誰かの一言がいつまでも気にかかり、その人を恨み、避けたりします。」カトリックの学校で共に過ごす海星ファミリーの一員としては、これではいけないようです。せっかく、福音を聴くために神に招かれたのですから。
「神さまへ『なぜ?』と意味を問いかけること」が、教育、子育ての大変さや辛さや迷いの中にある私たちを支えてくれます。神さまに「なぜ?」と意味を問いかけることは、「祈り」でもあります。そして、人々の前に自分を差し出し続ける私になりたいものです。