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【小学校の校長室から】平成24年7月2日 校長 山田 耕司

石巻で見て聴いて感じました


○ 6月の中旬、石巻市と仙台市を訪れました。石巻では、石巻赤十字病院の高橋看護師長さんの案内で、病院の医療救護の様子を聴くと共に旧大川小学校と門脇地区にもいきました。1年前の災害報道で度々取り上げられた場所です。
この時、石巻市で唯一機能した医療機関が、石巻赤十字病院でした。テレビを見る私は、その初動医療救護の様子に目を見張りました。この病院は、市人口20万人の命を一手に背負いました。震災3日後には、ヘリコプターが63機、ヘリの患者だけで1251人が殺到しました。3月下旬になっても通常の5倍もの1日300人の患者がおしよせました。患者は津波被害特有の低体温症や津波肺の方が多い状況でした。

○患者だけでなく被災者も殺到しました。そこでフロアを区切り一般の方にも開放しました。石巻市役所の機能はほぼ停止状態でしたから、各地300以上の避難所の状況把握も病院のスタッフで行いました。対象者は7万人でした。健康調査をローラー作戦で行いました。35ヶ所では、震災から10日たっても食料さえまともに確保できませんでした。3月下旬100ヶ所以上で水の確保や排泄物の処理が困難でした。多くの避難民は、劣悪な環境による肺炎や感染症の胃腸炎を発病する危険性がありました。一方、患者の留守宅が空き巣に荒らされたりコンビニで万引きが横行したりの話も聞きました。

○全国版の報道と異なる現地の様子を聴きながら、赤十字の働きに感動しました。医療と救護訓練を学んでいた石巻赤十字看護学校の学生は、近隣の避難所(小学校)に急行し不眠不休で医療救護にあたりました。「仲間と一緒だったから務められました」と明るい声で報告したそうです。日常的な危機管理に根差した教育と訓練の賜物と知りました。

○大川小学校は、大河北上川の高い堤防の下にありました。周辺の住宅は津波で流され1軒も残っていません。2階建てのモダンな校舎と川の水面は同じ高さでした。津波は北上川を遡上しました。鉄橋を破壊し小学校を飲み込みました。学校の裏山は整備され登山口も見えました。学校長不在の中、職員が判断・決断に50分を要している間に108名の在籍児の内70%が犠牲になりました。残されたプールの壁面に描かれた児童のペイント画が楽しそうに笑っていました。………。

○門脇地区は、石巻港に隣接した場所です。門脇小学校は、津波火災によって全焼しました。子どもたちは学校の裏手にある日和山に避難し全員が助かりました。日和山は、日常的に児童の教育活動の場で遊び場でもありました。
 この地区の住宅は1軒もありません。日本製紙石巻工場だけが活動していました。地域復興のため、工場の移転計画を中止し稼働しています。がれきの一部を燃料として使用していました。

○二つの学校の事例から教育施設における危機管理の在り方を学びます。石巻赤十字病院の事例は、今後の災害時医療救護の全国的なモデルケースになるとも言われています。
福岡市でも博多湾沖から警固~三宅~春日~太宰府に至る「警固断層」が確認されています。福岡西方沖地震の折、その断層の上にある赤坂小学校で勤務しておりました。校舎の破損や液状化現象にあいました。福岡市校長会の係もしておりましたので、行政や議会、大学等関係者や専門家の調査訪問多く受けました。
学校をつくる人・学校をまもる人・学校をうごかす人それぞれの立場の危機管理が問われます。その日は幸いに学校休日でしたが、出校日であったら校長としてどう判断し決断したかを反芻しました。

○「多くの方に石巻に来ていただいて、被災地の空気を感じてほしい」。ご案内いただいた高橋看護師長さんのお願いです。私は、この言葉をこどもたちに伝え毎日一緒に祈り続けたいと思います。
神様はいつも私たちに側にいてくださいます。