福岡海星女子学院高等学校 福岡海星女子学院附属小学校 福岡海星女子学院マリア幼稚園  

【小学校の校長室から】第13号 平成23年11月1日 校長 山田 耕司

最初に西洋文明が咲いた地は  
       
○ 海星のルーツ長崎・島原・熊本を訪ねる6年生の修学旅行は、今年で2回目になります。子どもたちが自分の将来をつくるために、6年間海星で学び身につけたことの意味や価値に出会う旅です。昨年の実施内容にさらに研究を深め、新たに出津教会と島原教会・雲仙教会を加えました。これらの地をご紹介しましょう。ご家族で訪れてみてください。                           
○ 「出津教会」(しつきょうかい)  
 ご存知のように日本にキリスト教を伝えたのは、イエズス会の宣教師(司祭)でスペイン人のフランシスコ・ザビエルです。ザビエルは、鹿児島に上陸し布教のため、アジアン大名(南蛮貿易に熱心な大名)と言われた大友氏(大分)や大内氏(山口)、松浦氏(平戸)を訪ねます。そのような中で、最初にキリスト教徒の集団が誕生したのは、都でも武士や商人の住む城下町でもありませんでした。長崎西彼杵半島の黒崎郷です。黒崎は平成の大合併で外海町黒崎から長崎市と変わりましたが、東シナ海の角力灘に面した寒村です。今でこそ海岸線を国道が走りますが、明治期までは平戸や長崎から隔絶された陸の孤島でした。猫の額ほどの耕地を作り荒海に小船を浮べて漁をしていました。「パライソにまいろう」素朴な生活をする人々が、素朴に生きることこそ神のみ教えとする信仰に出会いました。最初に神を信じたのは最も貧しい人々でした。
                     
○ あまりの生活の厳しさに江戸期には、この村から領主の政策もあり五島列島への大量移民が行われました。この移民に混じって多くの潜伏キリシタンが五島に渡り、その子孫が明治以降カトリックに帰依し、世界遺産候補となっている五島の教会群を建てます。遠藤周作の小説「沈黙」の舞台がこの村です。この村に今もフランス人のド・ロ神父様が明治時代に開いた黒崎教会と出津教会があります。ド・ロ師は、村民が自活できるように種々の産業を教えます。向学心に燃える若者は長崎の学校に派遣しました。司祭や修道者や実業家の道を選ぶ子どもが出ました。長崎の畜産業や精肉業もこの村から始まりました。驚くことに出津教会からは、二人の枢機卿(ローマ法王の選挙権を持つ高位聖職者)が誕生しています。

○ 「島原教会・雲仙教会」
 二つの教会に描かれた青が基調のイタリア製のステンドグラス。島原教会は雲仙地獄や島原地方でのキリシタン殉教の図です。雲仙教会は潜伏キリシタンが250年間7代に亘って信仰を持ち続けた理由を明らかにする信仰のしくみの図です。司祭が1年に1回程度しか巡回指導に来られないことを予想して強い信仰組織をつくります。信徒のリーダーを養成する「サンタマリアの組」。聖書の教えを実践するグループを養成する「慈悲の組」。仲間たちを励まし支え続けるため聖体を拝領させる「聖体の組」の3つがそれです。  

○ 「口之津」                   
440年前、ポルトガル船が口之津に入港します。多くの宣教師や商人が口之津にやってきました。そして教会、学校や病院を建てました。最盛期には、この半島に70もの教会がありました。西洋音楽の教授や西洋絵画・哲学・天文学・印刷の授業が日本で最初に行われたのはこの地です。島原半島を抱き有明海の入口に位置する口之津港は、古代から天然の良港として知られていました。明治になり三池炭鉱が三井によって開鉱されると、シンガポールへの石炭積出港として九州一の貿易港になります。石炭運搬人夫(若い女性が主)が全国からやってきました。奄美の与論島では一村あげて移住してきました。運搬船の船底には「からゆきさん」と呼ばれる10代の女性が密航者として潜んでいました。現在日本への密航者が絶えませんが、かつては日本も貧国の一つでした。島原の子守唄の悲しい響きが耳に残ります。

○ 「聖コルベ記念室」                
 土産物店の連なる長崎大浦の坂を下る途中に、遠藤周作ご推奨の聖コルベ記念室があります。子どもたちが買い物をしている間、訪れてみました。ここは、カトリック修道院「聖母の騎士」発祥の地です。片隅に当時のマントルピースが残っています。コルベ神父様は、日本の軍国時代に神の教え(愛)を小冊子にし、行きかう市民に配り続けました。その後、故国ポーランドに帰国し、ナチスに捕らわれアウシュビッツで「身代わりの愛」を実行し天に召されます。(遠藤周作の小説「女の一生~サチ子の場合~」に詳しい) 因みに学校に隣接しますカトリック老司教会のアルビン神父様は、ポーランド人でコルベ神父様の足跡を慕って来日、長崎や九州で布教をされています。