【小学校-校長室から】こうのとりのゆりかご
教 頭 松本 裕子
〇今年1月25日の全校朝礼は、「クリスマス募金の贈呈式」でした。昨年の11月16日~12月15日までの1か月間、運営委員会を中心にクリスマス募金を行いました。今年度の募金は、本校と縁のある熊本の「慈恵病院にある【こうのとりのゆりかご】」の支援のために行いました。たくさんのご協力ありがとうございました。贈呈式には、前校長のシスター入江とリモートで繋ぎ、慈恵病院の取り組みである「こうのとりのゆりかご」についてお話を聴きました。
〇慈恵病院の始まりは、本校のルーツと深い関係があります。1889年(明治22年)ジャン・マリー・コール神父さまが熊本・筑後地区に派遣され、熊本市の手取教会を作られたことから始まります。コール神父さまは、フランス出身で26歳の時に長崎に来日。その後、大日本帝国憲法の発布により、信仰の自由が保障されると、ただちに熊本へ派遣されます。そこで本妙寺周辺でゴザを敷き治療を受けずに寝転がっているハンセン病の人たちを見て、教皇庁やフランスの修道会に救助要請をします。すぐに「マリアの宣教者フランシスコ修道会」マリー・ド・ラ・パシオンが5人のシスターを派遣します。マリー・ド・ラ・パシオンは、本学院修道会の創立者です。派遣された5人のシスター方は、献身的にハンセン病患者の治療にあたります。1898年(明治31年)ハンセン病の病院「待労院」が設立され、翌年、捨てられた乳児を収容する「聖母愛児園」を開設。1915年には「聖母の丘老人ホーム」を設立しました。そののち、貧困で治療を受けられない人たちのために「施療院」を設立。これが発展して1952年(昭和27年)に慈恵病院となります。
〇「マリアの宣教者フランシスコ修道会」は、聖フランシスコの精神を受け継いでいます。その精神は、慈恵病院へも受け継がれています。
理解されることよりも 理解することを
愛されることよりも 愛することを
人は自分を捨ててこそ 受け
自分を忘れてこそ 見出し
赦してこそ 赦され
〇1978年慈恵病院の運営を修道会から任された蓮田太二先生は、産婦人科医でした。病院で妊婦さんと赤ちゃんの命に向き合う中、お産に問題を抱えるお母さんを何とか支援できないか、赤ちゃんの遺棄事件が後を絶たない日本の社会に課題を持たれます。 まずは、24時間「SOS赤ちゃんとお母さんの相談窓口」を開かれます。出産への啓発や相談に力をいれても、お産がすべて万全なわけではなく、何年に一回は危険を伴う出産を経験されます。そのたびに、頭を垂れ祈られます。お産を援助して誰ひとりとしてお母さんを失わなかった奇跡に感謝し、先生は1998年にカトリックの洗礼を受けられます。
〇「こうのとりのゆりかご」が開始されたのは、2007年5月10日。ここに至るまでには、政府や社会から大きなバッシングを受けます。当初「赤ちゃんポスト」の名前が先行し、「ポスト」のイメージが郵便物を投げ入れるもの。「赤ちゃんを無責任に投げ入れるなんて子捨てを助長することになる」「母親はどんなに苦しくても育てるのが当たり前」「今後の子どもの将来はどうなる」私も当時の報道を鮮明に記憶しています。
〇蓮田太二先生は、昨年10月に84歳でお亡くなりになりました。現在、蓮田先生の息子さんが病院を受け継がれています。蓮田太二先生は、155名の赤ちゃんの命を助け、養子縁組は300件以上になりました。「どの子もかけがえのない子であり、人類の歴史を作る誇り高い存在。何よりも命が大事、命を助ける」と言い続けられました。
〇本校の修学旅行は、この熊本の地が「ルーツを探る旅」の最終日となります。「こうのとりのゆりかご」も見学します。今年は、コロナ禍で訪問することができませんが、リモートで熊本の修道院と繋ぎ、シスター入江からお話を伺おうと計画しています。
〇今年1月25日の全校朝礼は、「クリスマス募金の贈呈式」でした。昨年の11月16日~12月15日までの1か月間、運営委員会を中心にクリスマス募金を行いました。今年度の募金は、本校と縁のある熊本の「慈恵病院にある【こうのとりのゆりかご】」の支援のために行いました。たくさんのご協力ありがとうございました。贈呈式には、前校長のシスター入江とリモートで繋ぎ、慈恵病院の取り組みである「こうのとりのゆりかご」についてお話を聴きました。
〇慈恵病院の始まりは、本校のルーツと深い関係があります。1889年(明治22年)ジャン・マリー・コール神父さまが熊本・筑後地区に派遣され、熊本市の手取教会を作られたことから始まります。コール神父さまは、フランス出身で26歳の時に長崎に来日。その後、大日本帝国憲法の発布により、信仰の自由が保障されると、ただちに熊本へ派遣されます。そこで本妙寺周辺でゴザを敷き治療を受けずに寝転がっているハンセン病の人たちを見て、教皇庁やフランスの修道会に救助要請をします。すぐに「マリアの宣教者フランシスコ修道会」マリー・ド・ラ・パシオンが5人のシスターを派遣します。マリー・ド・ラ・パシオンは、本学院修道会の創立者です。派遣された5人のシスター方は、献身的にハンセン病患者の治療にあたります。1898年(明治31年)ハンセン病の病院「待労院」が設立され、翌年、捨てられた乳児を収容する「聖母愛児園」を開設。1915年には「聖母の丘老人ホーム」を設立しました。そののち、貧困で治療を受けられない人たちのために「施療院」を設立。これが発展して1952年(昭和27年)に慈恵病院となります。
〇「マリアの宣教者フランシスコ修道会」は、聖フランシスコの精神を受け継いでいます。その精神は、慈恵病院へも受け継がれています。
理解されることよりも 理解することを
愛されることよりも 愛することを
人は自分を捨ててこそ 受け
自分を忘れてこそ 見出し
赦してこそ 赦され
〇1978年慈恵病院の運営を修道会から任された蓮田太二先生は、産婦人科医でした。病院で妊婦さんと赤ちゃんの命に向き合う中、お産に問題を抱えるお母さんを何とか支援できないか、赤ちゃんの遺棄事件が後を絶たない日本の社会に課題を持たれます。 まずは、24時間「SOS赤ちゃんとお母さんの相談窓口」を開かれます。出産への啓発や相談に力をいれても、お産がすべて万全なわけではなく、何年に一回は危険を伴う出産を経験されます。そのたびに、頭を垂れ祈られます。お産を援助して誰ひとりとしてお母さんを失わなかった奇跡に感謝し、先生は1998年にカトリックの洗礼を受けられます。
〇「こうのとりのゆりかご」が開始されたのは、2007年5月10日。ここに至るまでには、政府や社会から大きなバッシングを受けます。当初「赤ちゃんポスト」の名前が先行し、「ポスト」のイメージが郵便物を投げ入れるもの。「赤ちゃんを無責任に投げ入れるなんて子捨てを助長することになる」「母親はどんなに苦しくても育てるのが当たり前」「今後の子どもの将来はどうなる」私も当時の報道を鮮明に記憶しています。
〇蓮田太二先生は、昨年10月に84歳でお亡くなりになりました。現在、蓮田先生の息子さんが病院を受け継がれています。蓮田太二先生は、155名の赤ちゃんの命を助け、養子縁組は300件以上になりました。「どの子もかけがえのない子であり、人類の歴史を作る誇り高い存在。何よりも命が大事、命を助ける」と言い続けられました。
〇本校の修学旅行は、この熊本の地が「ルーツを探る旅」の最終日となります。「こうのとりのゆりかご」も見学します。今年は、コロナ禍で訪問することができませんが、リモートで熊本の修道院と繋ぎ、シスター入江からお話を伺おうと計画しています。
【高校-掲示板】本日の登校およびスクールバスの運行について 2月18日
本日の登校およびスクールバスの運行について
本日は、荒天及び路面凍結による公共交通機関のダイヤの乱れのため、授業を1時間遅らせて開始します。朝課外授業と1時間目の授業はカットします。なお、スクールバスは運行できませんので、公共交通機関を利用して登校して下さい。ただし、自宅周辺の雪の降り方や公共交通機関の運行状況などを確認し、登校が困難と保護者が判断した場合は、自宅で待機して下さい。また、その場合は、学校に連絡をしてください。
本日は、荒天及び路面凍結による公共交通機関のダイヤの乱れのため、授業を1時間遅らせて開始します。朝課外授業と1時間目の授業はカットします。なお、スクールバスは運行できませんので、公共交通機関を利用して登校して下さい。ただし、自宅周辺の雪の降り方や公共交通機関の運行状況などを確認し、登校が困難と保護者が判断した場合は、自宅で待機して下さい。また、その場合は、学校に連絡をしてください。
【高校-学校長より生徒へのメッセージ】目標を目指して 2月10日
「目標を目指して」~期末考査を前に~
教頭 鶴田葉月
おはようございます。
先ほどのお祈りでもありましたが、この頃、ルルドの庭の紅梅は、本当にいい香りを漂わせています。中庭ではツバキに、メジロが集まってきて、茂みの中でチョロチョロ飛び回るようすも見られるようになってきました。昨日は学校の玄関に、お雛様も飾りました。さまざまな春の訪れ、海星ならではの景色を、皆さんも、ぜひ味わってください。
さて、明後日からは、期末考査が始まります。ちょうど今の皆さんにぴったりのみ言葉が聖書にありますので、お伝えしたいと思います。それは、フィリピの信徒への手紙3章12-14、
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
という箇所です。
勉強というのは、本気で頑張れば頑張るほど、学習が足りていないことに気づいたり、間に合わなくて不安になったりするものです。
ただ、それこそが学びのだいご味であって、その苦しみを乗り越えた時、次は間に合うように工夫したくなる、あるいはもっと本格的に勉強したくなるということも多いものです。
今、具体的には期末考査のための勉強ですが、それが、あなたにどう作用して、将来をどう広げてくれるか、わかりません。だから、与えられたこの時を大切にして、緊張するけれども、前を向いてとにかく頑張るのですよ。
ところで、私もまた、早くこの期末考査が無事終わってほしいと願っています。というのも、考査期間中はB型掃除ですが、考査が終わって、一斉掃除に戻るからです。私は、2月から新しく変わった掃除場所で、1年生・2年生と一緒に掃除しています。3年生が自宅学習期間で、いないので、人数が少なく、大変なのですが、担当の生徒たちが、時間になると素早く掃除区域に集まって、時間いっぱいよく活動してくれるので、一緒に掃除するのが楽しみなのです。
明日の建国記念の日が一日、勉強に使えるのはうれしいですね。計画的に、集中して頑張ってください。応援しています。
教頭 鶴田葉月
おはようございます。
先ほどのお祈りでもありましたが、この頃、ルルドの庭の紅梅は、本当にいい香りを漂わせています。中庭ではツバキに、メジロが集まってきて、茂みの中でチョロチョロ飛び回るようすも見られるようになってきました。昨日は学校の玄関に、お雛様も飾りました。さまざまな春の訪れ、海星ならではの景色を、皆さんも、ぜひ味わってください。
さて、明後日からは、期末考査が始まります。ちょうど今の皆さんにぴったりのみ言葉が聖書にありますので、お伝えしたいと思います。それは、フィリピの信徒への手紙3章12-14、
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
という箇所です。
勉強というのは、本気で頑張れば頑張るほど、学習が足りていないことに気づいたり、間に合わなくて不安になったりするものです。
ただ、それこそが学びのだいご味であって、その苦しみを乗り越えた時、次は間に合うように工夫したくなる、あるいはもっと本格的に勉強したくなるということも多いものです。
今、具体的には期末考査のための勉強ですが、それが、あなたにどう作用して、将来をどう広げてくれるか、わかりません。だから、与えられたこの時を大切にして、緊張するけれども、前を向いてとにかく頑張るのですよ。
ところで、私もまた、早くこの期末考査が無事終わってほしいと願っています。というのも、考査期間中はB型掃除ですが、考査が終わって、一斉掃除に戻るからです。私は、2月から新しく変わった掃除場所で、1年生・2年生と一緒に掃除しています。3年生が自宅学習期間で、いないので、人数が少なく、大変なのですが、担当の生徒たちが、時間になると素早く掃除区域に集まって、時間いっぱいよく活動してくれるので、一緒に掃除するのが楽しみなのです。
明日の建国記念の日が一日、勉強に使えるのはうれしいですね。計画的に、集中して頑張ってください。応援しています。
【高校-掲示板】2月の祈りの意向
2月の祈りの意向
宗教科 阿部光喜
新型コロナウイルスの脅威に覆われたこの一年、社会には「距離」という新たな規範が生まれた。集うことも、触れ合うことも奪われた世界で、他者へのいらだちや社会の分断がむき出しになっている。この息苦しさをどう乗り越えられるのだろうか。
日々の当たり前だった生活を苦しめています。
皆さんは、今このことについてどんなことであなたに制限が加えられ、どんなことであなたは苦しんでいるのでしょうか。それとも今の学校生活、日常での制限された生活にすっかり慣れ、何の違和感もなく暮らせていると思っているのなら困りますね。
学校では、先生方がいろいろな皆さんの学習環境を大切に、フィジカルディスタンシング、消毒、今の状況の中で、精一杯できることを配慮し、校長先生と共に私たちは心ひとつに神に祈る毎朝です。
報道機関では、救急車を呼んでも病院がなかなか決まらない。また、陽性の判定が出されているのにもかかわらず、病院にもいけず、自宅で待機、保健所、病院からの連絡を待っていらっしゃる方が数多くいらっしゃると報道されています。
また世界を見ていると、パンデミックを前に動きを止めた社会。
この先、世界は日本はどう変わるのでしょうか。
今まで「福岡海星女子学院高等学校」めざす生徒の姿(生徒手帳より)では、「存在の土台に神の愛があることを知り、生きていくことができますように」と毎日の祈りの中で一人一人が学んできました。
・まわりに支えられていることを自覚し、他を大切にしつつ自分を素直に表現する。
・人と共に人のために生きようとすることが、自分を成長させる。
・自然環境を大切に命に対する畏敬の念を学んできた。
これらは生徒手帳の一部ですが、コロナ禍の皆さんの生活にどう影響を与えているのでしょう。コロナ禍克服の過程で、何を見直し、何を生み出すかを常に問い直してみることが大切でしょう。
人と人との関係において、積極的にかかわることの大切さ、人と人とのかかわりによって、多くのことをわたしたちは学ぶと折あるごと語ってきました。
今「不要不急」の拡大は、私たちが学んでいることを奪い去りかねません。それは、信頼できる人間関係、学院生活で、一番の楽しみ、昼食をわいわいと話ながらいただくほっとするひと時と安心できる場所の制限、公共交通、地域の生活空間、澄んだ大気、心を豊かにする生の音楽の魅力を最大限に聴くことによって、人々に心の安らぎを与えてくれるはずなのに、規制がかかり無観客、街を歩く人はみなマスク着用が当たりませ、そして常に手を消毒することを求められ、人と関わろうとしたとき、常に心のどこかで人を警戒している私がそこにいます。
この間まで当たり前だったこと、これが当たり前でなくなり経済的な苦境にあえぎ、心の変調に悩む人も少なくない。それでも懸命に働く人たちがいて、今、この時も「日常」が成り立っている。
これって異常事態です、そのことに慣れてはいけないのです。今まで私たちの当たり前の事柄が、どれだけ大切だったのか改めて知りました。
今月のみ言葉
「信頼と感謝」
「主イエスを通して父である神に感謝しつつ、すべてを主イエスの名において行いなさい。」
コロサイの信徒への手紙3章17節
・どんなときでも神から大切にされていることに気づき、感謝の心を大切にできますように。 「18歳のわたくし」より
シスター古木鈴子さんが作詞作曲された歌「いのち」にこんな歌詞があります。
いのちがこんなに尊いのは この世にたった一つだから
いのちがこんなにきれいなのは 神様が心を込めているから
いのちがこんなに愛おしいいのは それはあなた あなたのいのちだから
聖書ヨハネによる福音書(15:16)では、イエスが弟子たちに「あなた方がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだのである。あなたがたが出掛けて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」と語りかけている。
私たちは、自分にとって良いことがあると素直に神様に感謝できますが、自分にとって良いと思われないことがあると感謝することは難しく、時として神の深い御心を疑い、恨み、苦しみ、「神様、なぜこんなに私を苦しめるのですか。」と文句を言ってやりたいときもあります。私もですが・・・・
しかし、落ち込んでいるとき、自信をなくしているとき、これでよかったのかとひとり悩むときに、「私が神から選ばれた、愛されている」ということを思い返すと、何と力強く、何と説得と深い慈悲がそこにあるのか。そして、わたしには私だけに与えられたミッション(使命)を改めてかみしめ頑張れます。
人は自分を超えた存在を前にするときに、与えられた生の意味や使命について考え、それに気づかされていきます。
自分の超えた存在は、自分の視覚で確認、触れて確認、科学の数値化で確認しなければ神は認められませんか。では、精神、こころ、魂はどんなふうにあなたは考えますか。あなたの望みをいつも聞き入れてくれた時に、自分を超えた存在をやっと認めることができるのかな。
今100年に1度の禍、どんな情況にあったとしても、人は自分の力で今の現状をかえることができないからこそ、私たちは自分を超える存在に対して祈ります。誰でも、いつもどのような時でも、自分のすべてを受け入れ、励まして下さる神様の存在を知ることで心は平安に満ち溢れます。毎日、自分が生きている、生かされていることへの感謝や喜び、見守られていることへの安心感をもち、生涯にわたる人生の価値観を培い、神様の愛の中であなたと共に生きることができますように。
神に感謝。
宗教科 阿部光喜
新型コロナウイルスの脅威に覆われたこの一年、社会には「距離」という新たな規範が生まれた。集うことも、触れ合うことも奪われた世界で、他者へのいらだちや社会の分断がむき出しになっている。この息苦しさをどう乗り越えられるのだろうか。
日々の当たり前だった生活を苦しめています。
皆さんは、今このことについてどんなことであなたに制限が加えられ、どんなことであなたは苦しんでいるのでしょうか。それとも今の学校生活、日常での制限された生活にすっかり慣れ、何の違和感もなく暮らせていると思っているのなら困りますね。
学校では、先生方がいろいろな皆さんの学習環境を大切に、フィジカルディスタンシング、消毒、今の状況の中で、精一杯できることを配慮し、校長先生と共に私たちは心ひとつに神に祈る毎朝です。
報道機関では、救急車を呼んでも病院がなかなか決まらない。また、陽性の判定が出されているのにもかかわらず、病院にもいけず、自宅で待機、保健所、病院からの連絡を待っていらっしゃる方が数多くいらっしゃると報道されています。
また世界を見ていると、パンデミックを前に動きを止めた社会。
この先、世界は日本はどう変わるのでしょうか。
今まで「福岡海星女子学院高等学校」めざす生徒の姿(生徒手帳より)では、「存在の土台に神の愛があることを知り、生きていくことができますように」と毎日の祈りの中で一人一人が学んできました。
・まわりに支えられていることを自覚し、他を大切にしつつ自分を素直に表現する。
・人と共に人のために生きようとすることが、自分を成長させる。
・自然環境を大切に命に対する畏敬の念を学んできた。
これらは生徒手帳の一部ですが、コロナ禍の皆さんの生活にどう影響を与えているのでしょう。コロナ禍克服の過程で、何を見直し、何を生み出すかを常に問い直してみることが大切でしょう。
人と人との関係において、積極的にかかわることの大切さ、人と人とのかかわりによって、多くのことをわたしたちは学ぶと折あるごと語ってきました。
今「不要不急」の拡大は、私たちが学んでいることを奪い去りかねません。それは、信頼できる人間関係、学院生活で、一番の楽しみ、昼食をわいわいと話ながらいただくほっとするひと時と安心できる場所の制限、公共交通、地域の生活空間、澄んだ大気、心を豊かにする生の音楽の魅力を最大限に聴くことによって、人々に心の安らぎを与えてくれるはずなのに、規制がかかり無観客、街を歩く人はみなマスク着用が当たりませ、そして常に手を消毒することを求められ、人と関わろうとしたとき、常に心のどこかで人を警戒している私がそこにいます。
この間まで当たり前だったこと、これが当たり前でなくなり経済的な苦境にあえぎ、心の変調に悩む人も少なくない。それでも懸命に働く人たちがいて、今、この時も「日常」が成り立っている。
これって異常事態です、そのことに慣れてはいけないのです。今まで私たちの当たり前の事柄が、どれだけ大切だったのか改めて知りました。
今月のみ言葉
「信頼と感謝」
「主イエスを通して父である神に感謝しつつ、すべてを主イエスの名において行いなさい。」
コロサイの信徒への手紙3章17節
・どんなときでも神から大切にされていることに気づき、感謝の心を大切にできますように。 「18歳のわたくし」より
シスター古木鈴子さんが作詞作曲された歌「いのち」にこんな歌詞があります。
いのちがこんなに尊いのは この世にたった一つだから
いのちがこんなにきれいなのは 神様が心を込めているから
いのちがこんなに愛おしいいのは それはあなた あなたのいのちだから
聖書ヨハネによる福音書(15:16)では、イエスが弟子たちに「あなた方がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだのである。あなたがたが出掛けて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」と語りかけている。
私たちは、自分にとって良いことがあると素直に神様に感謝できますが、自分にとって良いと思われないことがあると感謝することは難しく、時として神の深い御心を疑い、恨み、苦しみ、「神様、なぜこんなに私を苦しめるのですか。」と文句を言ってやりたいときもあります。私もですが・・・・
しかし、落ち込んでいるとき、自信をなくしているとき、これでよかったのかとひとり悩むときに、「私が神から選ばれた、愛されている」ということを思い返すと、何と力強く、何と説得と深い慈悲がそこにあるのか。そして、わたしには私だけに与えられたミッション(使命)を改めてかみしめ頑張れます。
人は自分を超えた存在を前にするときに、与えられた生の意味や使命について考え、それに気づかされていきます。
自分の超えた存在は、自分の視覚で確認、触れて確認、科学の数値化で確認しなければ神は認められませんか。では、精神、こころ、魂はどんなふうにあなたは考えますか。あなたの望みをいつも聞き入れてくれた時に、自分を超えた存在をやっと認めることができるのかな。
今100年に1度の禍、どんな情況にあったとしても、人は自分の力で今の現状をかえることができないからこそ、私たちは自分を超える存在に対して祈ります。誰でも、いつもどのような時でも、自分のすべてを受け入れ、励まして下さる神様の存在を知ることで心は平安に満ち溢れます。毎日、自分が生きている、生かされていることへの感謝や喜び、見守られていることへの安心感をもち、生涯にわたる人生の価値観を培い、神様の愛の中であなたと共に生きることができますように。
神に感謝。
【小学校-校長室から】民主主義の国ニッポン
校長 山田 耕司
民主主義と社会科
○ アメリカの大統領選挙をめぐる一連の動きは民主主義について熟考させられました。バイデン新大統領はその就任式で旧約聖書詩編30章6節を引用し、Biblesays weeping may endure for a night but joy cometh in the morning.(夕べは涙のうちに過ごしても朝には喜びの歌がある)と唱えました。バイデン氏はコロナ禍の今、民主主義と権威主義の選択に揺れるアメリカで苦難のうちにかじ取りを託されました。 From division to unity (分断から結束へ)が、key wordだそうです。演説の中では「民主主義」が11回使われました。これは対岸の火事ではありません。ニッポンも同じ課題を共有します。
○ 75年前日本は新しい国づくりに向かって歩み始めました。明治以降数回の戦争を乗り越え、「国民の国民による国民のための社会をつくる」民主主義国家を目指すことになりました。そして、その基盤である市民育成のため学校教育に「社会科」を創設しました。小学校・中学校社会科教育は民主主義教育の要として期待されました。
小学校6年生社会科を学ぶ
○ 小学校最終学年6年生の社会科では、日本の政治と歴史、世界の国々との関係について学習します。
国や県・市の政治はどんな考え方にもとづき、どのように進められているのか、歴史上の人物のどのようなはたらきによって今の世の中がつくられてきたのか、日本は世界の国々とどのような関係をもっているのかなどを探求していきます。
○ これは、日本の世の中の今を、過去にさかのぼり、未来や世界にも目を向けて、広い視野から深く考える学習になります。今の社会のしくみやその基本となっているきまりは何か、それらはどのような歴史をへて形づくられてきたのか、日本は世界の国々とどんな関係にあり、世界の国々から何を期待されているのかなどを考えていく学習を主体的に展開します。その過程で先生や友だち・人々の支援を受け知識・思考・能力・態度・行動を醸成していきます。
この社会科学習を体験しますと、子どもたちは社会生活の基本となっているきまりやしくみ、今の世の中へと発展してきた日本の歩み、世界の国々との関係などについて、より広く、深く考えることできるようになります。そして、日本に暮らす国民、ひととして自覚が芽生え、政治や社会に参加し、共に課題を解決していくことが期待されます。
欧米にみる民主主義
○ 少子化・高齢化が進む中、欧米に倣って若者の政治参加を求めて2016年から18歳の選挙権が導入されました。国や社会は主体的に政治を担う若者が増えてほしいと願います。しかし、投票率には一向反映されません。高校での「主権者教育」(シチズンシップ教育)が叫ばれるばかりです。彼らには小学校の時からの主体的に学ぶ社会科教育が不十分だったのでしょうか?
○ 本年より大学入試制度の改変が行われました。
欧米では日本のように定期テストがある国は殆どありません。大学入学資格試験が記述式・面接式であるため、高校生は自分の解答に至る考えを論理的に説明する学び(訓練)を重ねています。大学受験者の数が異常に多い日本式の知識の量を問う試験とは異なります。自分で課題を見つけ出し、解決していく力が求められます。ここでは小学校からの主体的課題解決学習の体験が生きてきます。塾や机上だけでの「暗記したことを解答用紙に書く知識偏重型の日本のテストのあり方は国際社会では通用しない」と千代田区麹町中学校の校長は指摘します。
○ 現在もっと人間性を豊かにする教育を文科省は目指します。それには先ず教育環境の保証です。子どもが子どもらしくのびのびと育ち自分を発見し見つめ醸成できる学校です。次に教師が自らの教育力を向上させる学校研究の必然です。まさに「教育は人なり」。そんな学校に民主主義に生きる子どもたちが育ちます。
民主主義と社会科
○ アメリカの大統領選挙をめぐる一連の動きは民主主義について熟考させられました。バイデン新大統領はその就任式で旧約聖書詩編30章6節を引用し、Biblesays weeping may endure for a night but joy cometh in the morning.(夕べは涙のうちに過ごしても朝には喜びの歌がある)と唱えました。バイデン氏はコロナ禍の今、民主主義と権威主義の選択に揺れるアメリカで苦難のうちにかじ取りを託されました。 From division to unity (分断から結束へ)が、key wordだそうです。演説の中では「民主主義」が11回使われました。これは対岸の火事ではありません。ニッポンも同じ課題を共有します。
○ 75年前日本は新しい国づくりに向かって歩み始めました。明治以降数回の戦争を乗り越え、「国民の国民による国民のための社会をつくる」民主主義国家を目指すことになりました。そして、その基盤である市民育成のため学校教育に「社会科」を創設しました。小学校・中学校社会科教育は民主主義教育の要として期待されました。
小学校6年生社会科を学ぶ
○ 小学校最終学年6年生の社会科では、日本の政治と歴史、世界の国々との関係について学習します。
国や県・市の政治はどんな考え方にもとづき、どのように進められているのか、歴史上の人物のどのようなはたらきによって今の世の中がつくられてきたのか、日本は世界の国々とどのような関係をもっているのかなどを探求していきます。
○ これは、日本の世の中の今を、過去にさかのぼり、未来や世界にも目を向けて、広い視野から深く考える学習になります。今の社会のしくみやその基本となっているきまりは何か、それらはどのような歴史をへて形づくられてきたのか、日本は世界の国々とどんな関係にあり、世界の国々から何を期待されているのかなどを考えていく学習を主体的に展開します。その過程で先生や友だち・人々の支援を受け知識・思考・能力・態度・行動を醸成していきます。
この社会科学習を体験しますと、子どもたちは社会生活の基本となっているきまりやしくみ、今の世の中へと発展してきた日本の歩み、世界の国々との関係などについて、より広く、深く考えることできるようになります。そして、日本に暮らす国民、ひととして自覚が芽生え、政治や社会に参加し、共に課題を解決していくことが期待されます。
欧米にみる民主主義
○ 少子化・高齢化が進む中、欧米に倣って若者の政治参加を求めて2016年から18歳の選挙権が導入されました。国や社会は主体的に政治を担う若者が増えてほしいと願います。しかし、投票率には一向反映されません。高校での「主権者教育」(シチズンシップ教育)が叫ばれるばかりです。彼らには小学校の時からの主体的に学ぶ社会科教育が不十分だったのでしょうか?
○ 本年より大学入試制度の改変が行われました。
欧米では日本のように定期テストがある国は殆どありません。大学入学資格試験が記述式・面接式であるため、高校生は自分の解答に至る考えを論理的に説明する学び(訓練)を重ねています。大学受験者の数が異常に多い日本式の知識の量を問う試験とは異なります。自分で課題を見つけ出し、解決していく力が求められます。ここでは小学校からの主体的課題解決学習の体験が生きてきます。塾や机上だけでの「暗記したことを解答用紙に書く知識偏重型の日本のテストのあり方は国際社会では通用しない」と千代田区麹町中学校の校長は指摘します。
○ 現在もっと人間性を豊かにする教育を文科省は目指します。それには先ず教育環境の保証です。子どもが子どもらしくのびのびと育ち自分を発見し見つめ醸成できる学校です。次に教師が自らの教育力を向上させる学校研究の必然です。まさに「教育は人なり」。そんな学校に民主主義に生きる子どもたちが育ちます。
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