【卒業生近況】NZより(2A留学報告)

これはクッキーをホストマザーと一緒に作っている様子です。私はクッキーを作るのは初めてでよく分からなかったのですが、ホストマザーが優しく丁寧に教えてくれたおかげで美味しく仕上げる事が出来ました。

私は教科で体育を取っていて、その友達です。私は初め中々話しかける事が出来ずに困っていた時、この写真の二人が助けてくれて、今ではとても仲の良い親友です。

これは、スポーツデイと言って、日本で言う体育祭みたいな行事がありました。そして皆色が分かれていて、私は青のグループだったので、同じ青のグループの派手な格好をしている人と撮りました。グループの色の服を着て、服装は指定されなかったので、皆自由な感じでした。


ホストマザーとファザーとレグランドにある滝を見に行った時の写真です。この滝は流れが凄く早くて美しかったです。マザーとファザーとの記念撮影をしました。


自分でカレーを作った時の写真です。私は料理が苦手なので美味しくなかったらどうしようと思いましたが、皆とても美味しくて最高だよと言ってくれたのが嬉しかったです。

中華料理を食べに行った写真です。
ホストファザーのお気に入りの中華料理屋さんで、私も気に入りました。

4月にハミルトンでのバルーンフェスティバルがありました。色々なキャラクターの気球が沢山出てきて気球の炎の灯りが凄く素晴らしかったです。

これはニュージーランドで最も有名な食べ物のフィッシュ&チップスです。
私はよくニュージーランドの人が食べているのを目にします。魚は甘くて、ポテトは塩とのマッチが最高です。

この写真はホストマザー、ファザー、そして一緒に住んでいる中国人の子と
食べに行ったピザの写真です。このピザは凄くサイズが大きくて最初はびっくりしました。皆、お腹一杯に食べていました。
【卒業生近況】NZより(2A留学報告)


これはmid winter Christmas をした時のです。たくさんお話しして食べて素敵な時間を過ごしました。

これはfood classで撮った写真です。いろんな食べ物を作ったりして美味しいです😝💕

これは私のform classです。Mufti dayという私服の日に浴衣を着たのでみんなで写真を撮りました!

これはホストシスターがstage challengeというのをした後の写真です。 stage challengeで私の学校が優勝しました!とてもいいストーリーで感動しました!

私のESOLのクラスです。自分の国に帰ってしまう友達が何人かいたのでshare lunchをして楽しみました。

これはホストシスターがstage challengeというのをした後の写真です。 stage challengeで私の学校が優勝しました!とてもいいストーリーで感動しました。
【卒業生近況】イギリスより(2A留学報告)

ホストファミリーとホストマザーのシスターの誕生日会にいった際。
そのお家が牧場をやっていて羊や馬や鶏などの動物たちを間近で見ることが出来ました。 With ホストマザー。2、3月頃。

Anzacday。 この日は戦争で亡くなったオーストラリアとニュージーランドの兵隊の方々へ対して追悼をする日でした。また、私のホストシスターがスカウトに所属しているので、パレードを見に行きました。Withホストシスター。

Sports dayにて。 私はGreenチームで、様々なスポーツをしたり、友達と話をしたりし、楽しみましたっ With韓国人の友達とアフリカ出身の友達。2月。


pacificaのダンスに所属。これは本番当日のチームTシャツを着た時の写真です。 MHS は 私のホスト校Mairehau high schoolを意味しています。4月。

Production で テーマを”Back to 80's”とし、劇をしました。
本番の写真です。 5月。With プロダクションメンバー。
【卒業生近況】ニュージーランドより(2A留学報告)

日本食を食べよう!!ということになってあんころもち大会をした写真です!!
あんころもちとみたらし団子とおしるこをつくってみんなで食べました!!

ホストファミリーとお友達とBBQを私の誕生日にしました!!

留学をサポートしてくれている会社のキャンプに行ったときの写真です!!
自然に関するいろんなことができてほんとに楽しかった思い出しかないです!!
ニュージーランドらしいことがたくさんできてほんとに参加してよかったなって思います!!

ホストシスターとおそろいの洋服が日本から届いたのでプレゼントしたらすごい喜んでくれて、一緒に着て写真を撮りました。ホストシスターは一人っ子だから姉妹でおそろいの洋服をきれてすごく喜んでくれました!

ホストシスターとふたりで一緒にクッキーを作ったときの写真です!!

マオリの授業で制作ダンスの発表をしたときの写真です!!みんなで色を緑にそろえてダンスを踊りました!!みんな優しくてわかんないとこがあったら教えてくれたりして嬉しかったしすごい楽しかったです!!
【卒業生近況】夏休みを前に 副校長 野口 美智子
夏休みを前に
沖縄では特別警報も出た台風8号への対応で、海星小学校でも10日(木)を臨時休校、9日(水)~11日(金)に予定していた4・6年生のサマーキャンプは中止としておりましたが、台風8号は、10日 鹿児島県に上陸し九州を横断した後、和歌山県に再上陸して日本列島に沿って東に進むというコースをとりました。福岡では大きな天候の崩れもなく一安心というところでしたが、今回の台風でも各地で大きな被害がありました。
九州北部豪雨から11日で2年、今年の農村宿泊体験学習でもお世話になったうきは市姫治地区に今も残る豪雨の爪跡を見ていたからでしょうか、改めて自然の恐ろしさを感じました。本校では台風に備え、1年生の育てている「アサガオ」をはじめ飛びそうなものはすべて屋内に避難させていたのですが、グリーンカーテンやグリーントンネルまでは屋内というわけにはいかず、屋上近くまで伸びたゴ―ヤや、ずいぶん大きくなってきたキウイフルーツには何とか台風の被害が少ないようにと祈るような気持ちでした。
11日(金)、登校してきた子ども達は、朝の元気な挨拶のあと、「台風の影響があまりなくてよかった」「ゴーヤの花がたくさん咲いていますね」「あそこにゴーヤの実がなっています」等と、いつも以上に友だち同士で話したり、私に話しかけてきたりしました。「台風」が子ども達の植物への関心を高めたのでしょう。1年生も廊下に避難させていたアサガオを早速もとの場所に戻していました。1年生の子ども達は、朝登校するとすぐにアサガオの花の数を数えて「僕は今日5つ咲いていたよ」「私は6つも…」「色水を作ろう」等と楽しそうに話しています。毎日何輪もの花を咲かせるアサガオは、1年生にとって「宝物」のようです。
また、4・6年生の子ども達は、サマーキャンプに向けて6月から一緒に準備を重ねていましたので、中止を大変残念がっていましたが、9日(水)1・2時間目に、4・6年生合同の英語活動を行いました。 サマーキャンプのために準備した英語の歌(4年生はドレミの歌、6年生はトップ オブ ザ ワールド)の合唱や英語での自己紹介、英語を使ったゲーム等、練習の成果を十分発揮することができました。特にはじめと終わりの挨拶や司会の言葉等、流暢な英語で話すことができて、先生方からも「しっかりと練習し、がんばっていました」との声がありました。サマーキャンプに行けなかったことは大変残念だったのですが、「6年生が優しく教えてくれたのがうれしかったです」「分からないところを6年生に質問できてよかったです」「とてもたのしかったです」等、準備していたことが発表でき、2つの学年の交流ができました。
さて、14日(月)は、1学期最後の全校朝礼でした。本校では、全校朝礼の中で「善行者の発表」を行っています。14日は、いつも以上に発表したい人の手が次々に挙がりました。「私が困った時に、優しい言葉をかけてくれました」「僕が失敗した時に、励ましてくれました」「サッカーがうまくいったときに褒めてくれました」等、お友だちや上級生に言われて嬉しかったこと、してもらって嬉しかったことの発表が次々とありました。1学期最後の全校朝礼でこんなに多くの子ども達が、お友だちの「よさ」を見つけ発表できたことに嬉しくなりました。「僕は、7つ取れたミニトマトのうち、6つを1年生にあげました」これは、2年生の男の子の発表です。一生懸命お世話をしたミニトマトを1年生の子にあげたのです。微笑ましくなりました。「挨拶運動で、5年生の人たちがいつもよい挨拶をしてくれています」これは、運営委員会の6年生の男の子の発表です。「挨拶運動を推進して、学校中を元気な挨拶でいっぱいにしたい」という運営委員会ならではの発表です。このように、海星小学校の子ども達みんなが、温かな前向きの気持ちで夏休みを迎えることができたらと願っています。
ところで、11日、2016年のユネスコの世界文化遺産の候補として、国内から「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を推薦することが内定したとの報道がありました。本校の6年生は、修学旅行で「海星小学校のルーツを探る旅」として、長崎・島原・熊本を訪れます。すでに、宗教の時間に事前の準備を進めています。子どもたちの関心もより高まってくれるのではないかと期待しています。
最後になりましたが、子ども達一人ひとりが、充実した夏休みを過ごし、8月27日(水)の始業式に、元気な顔で全員そろうことを願っています。
沖縄では特別警報も出た台風8号への対応で、海星小学校でも10日(木)を臨時休校、9日(水)~11日(金)に予定していた4・6年生のサマーキャンプは中止としておりましたが、台風8号は、10日 鹿児島県に上陸し九州を横断した後、和歌山県に再上陸して日本列島に沿って東に進むというコースをとりました。福岡では大きな天候の崩れもなく一安心というところでしたが、今回の台風でも各地で大きな被害がありました。
九州北部豪雨から11日で2年、今年の農村宿泊体験学習でもお世話になったうきは市姫治地区に今も残る豪雨の爪跡を見ていたからでしょうか、改めて自然の恐ろしさを感じました。本校では台風に備え、1年生の育てている「アサガオ」をはじめ飛びそうなものはすべて屋内に避難させていたのですが、グリーンカーテンやグリーントンネルまでは屋内というわけにはいかず、屋上近くまで伸びたゴ―ヤや、ずいぶん大きくなってきたキウイフルーツには何とか台風の被害が少ないようにと祈るような気持ちでした。
11日(金)、登校してきた子ども達は、朝の元気な挨拶のあと、「台風の影響があまりなくてよかった」「ゴーヤの花がたくさん咲いていますね」「あそこにゴーヤの実がなっています」等と、いつも以上に友だち同士で話したり、私に話しかけてきたりしました。「台風」が子ども達の植物への関心を高めたのでしょう。1年生も廊下に避難させていたアサガオを早速もとの場所に戻していました。1年生の子ども達は、朝登校するとすぐにアサガオの花の数を数えて「僕は今日5つ咲いていたよ」「私は6つも…」「色水を作ろう」等と楽しそうに話しています。毎日何輪もの花を咲かせるアサガオは、1年生にとって「宝物」のようです。
また、4・6年生の子ども達は、サマーキャンプに向けて6月から一緒に準備を重ねていましたので、中止を大変残念がっていましたが、9日(水)1・2時間目に、4・6年生合同の英語活動を行いました。 サマーキャンプのために準備した英語の歌(4年生はドレミの歌、6年生はトップ オブ ザ ワールド)の合唱や英語での自己紹介、英語を使ったゲーム等、練習の成果を十分発揮することができました。特にはじめと終わりの挨拶や司会の言葉等、流暢な英語で話すことができて、先生方からも「しっかりと練習し、がんばっていました」との声がありました。サマーキャンプに行けなかったことは大変残念だったのですが、「6年生が優しく教えてくれたのがうれしかったです」「分からないところを6年生に質問できてよかったです」「とてもたのしかったです」等、準備していたことが発表でき、2つの学年の交流ができました。
さて、14日(月)は、1学期最後の全校朝礼でした。本校では、全校朝礼の中で「善行者の発表」を行っています。14日は、いつも以上に発表したい人の手が次々に挙がりました。「私が困った時に、優しい言葉をかけてくれました」「僕が失敗した時に、励ましてくれました」「サッカーがうまくいったときに褒めてくれました」等、お友だちや上級生に言われて嬉しかったこと、してもらって嬉しかったことの発表が次々とありました。1学期最後の全校朝礼でこんなに多くの子ども達が、お友だちの「よさ」を見つけ発表できたことに嬉しくなりました。「僕は、7つ取れたミニトマトのうち、6つを1年生にあげました」これは、2年生の男の子の発表です。一生懸命お世話をしたミニトマトを1年生の子にあげたのです。微笑ましくなりました。「挨拶運動で、5年生の人たちがいつもよい挨拶をしてくれています」これは、運営委員会の6年生の男の子の発表です。「挨拶運動を推進して、学校中を元気な挨拶でいっぱいにしたい」という運営委員会ならではの発表です。このように、海星小学校の子ども達みんなが、温かな前向きの気持ちで夏休みを迎えることができたらと願っています。
ところで、11日、2016年のユネスコの世界文化遺産の候補として、国内から「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を推薦することが内定したとの報道がありました。本校の6年生は、修学旅行で「海星小学校のルーツを探る旅」として、長崎・島原・熊本を訪れます。すでに、宗教の時間に事前の準備を進めています。子どもたちの関心もより高まってくれるのではないかと期待しています。
最後になりましたが、子ども達一人ひとりが、充実した夏休みを過ごし、8月27日(水)の始業式に、元気な顔で全員そろうことを願っています。
【卒業生近況】平成26年7月8日
台風8号の接近に伴い、沖縄県などに暴風や波浪、高潮の特別警報が発令されました。厳重な警戒をして、被害が最小限にすむことをお祈りいたしましょう。福岡には、9日10日にかけて台風が接近してくるとの予報。こちらも十分な備えをしていきましょう。児童のみなさんは、必要のない外出は控えるようにしましょう。
さて、グリーンカーテンがずいぶん成長しました。台風が来る前にその記録を写真に残しておきました。

立派に育ったゴーヤ苗。ネットの最上部まで到達しています。
台風が直撃しても、外れたりちぎれたりしないで元気に育ってね。

今年のキウイフルーツも元気にすくすく育っています。でも、今は固くて酸っぱくて食べられません。
台風の風に負けないで、どんどん大きくなってね。

南運動場には、ニホンアナグマの子どもたちが2匹遊びに来ていました。
まさか、キウイフルーツを狙っているのかな?まだ、酸っぱくてたべられませんよ!!
さて、グリーンカーテンがずいぶん成長しました。台風が来る前にその記録を写真に残しておきました。

立派に育ったゴーヤ苗。ネットの最上部まで到達しています。
台風が直撃しても、外れたりちぎれたりしないで元気に育ってね。

今年のキウイフルーツも元気にすくすく育っています。でも、今は固くて酸っぱくて食べられません。
台風の風に負けないで、どんどん大きくなってね。

南運動場には、ニホンアナグマの子どもたちが2匹遊びに来ていました。
まさか、キウイフルーツを狙っているのかな?まだ、酸っぱくてたべられませんよ!!
【卒業生近況】ニュージーランドより(2A留学報告)

1枚目:ホストファミリーとホストマザーのシスターの誕生日会にいった際。
そのお家が牧場をやっていて羊や馬や鶏などの動物たちを間近で見ることが出来ました。 With ホストマザー。2、3月頃。

2枚目:Anzacday。 この日は戦争で亡くなったオーストラリアとニュージーランドの兵隊の方々へ対して追悼をする日でした。また、私のホストシスターがスカウトに所属しているので、パレードを見に行きました。Withホストシスター。

3枚目:Sports dayにて。 私はGreenチームで、様々なスポーツをしたり、友達と話をしたりし、楽しみましたっ With韓国人の友達とアフリカ出身の友達。In2月。


4・5枚目:pacificaのダンスに所属。これは本番当日のチームTシャツを着た時の写真です。 MHS は 私のホスト校Mairehau high schoolを意味しています。In4月。

6枚目:Production で テーマを”Back to 80's”とし、劇をしました。
ス本番の写真です。 In 5月。With プロダクションメンバー。
【卒業生近況】平成26年7月1日 校長 山田 耕司
困っている人々のために働く
○ 本校の子どもたちの中には、医療関係に将来の夢を託している人が目立ちます。
そこで今月は、Kさんの生き方を紹介しましょう。Kさんは、私たちの修道会のシスター方(コンゴのSr佐野・マダガスカルのSr平間・南アフリカのSr内田)も支援を受けています「日本カトリック海外宣教者を支援する会」の世話役のおひとりです。
○「イエスの招き~途上国から刑務所へ~」
高校1年生の時、学校行事で「マザーテレサとその世界」というドキュメント映画を観て、途上国の困っている人々のために働きたいと思い、医師として中国やパキスタンの赴任も含め12年間国際保健の分野で働きました。その後、法務省の知人から誘われて、日本の刑務所で病気の受刑者の診療を行っています。刑務所で働く前、受刑者は、全身入れ墨で目つきが鋭いやくざのような人々をイメージしていました。中にはそのような人もいますが、多くはそのようなイメージとはかけ離れた弱々しい人々でした。
平成24年末時点の日本の受刑者数は67,000人で、窃盗が最も多く、その主な動機は生活費の困窮です。高齢受刑者数は過去20年間で5.6倍に増加しており、受刑者の高齢化が急速に進んでいます。受刑者の約10%は精神障害(知的障害、精神疾患等)があり、他にも家族関係が疎遠で逮捕前は独居が多く、無職、低学歴などの背景を持っている受刑者が多いといわれています。彼らの背景から推測されることは、貧困と孤独、そして何らかの生きづらさを抱えていたということです。
以前、50代の男性受刑者で、手術できない肝臓癌の患者がいました。彼には知的障害があり、自分の3ケタの受刑番号がどうしても覚えられません。彼は手術ができない肝臓癌ですが、癌に行く血管を詰まらせて、癌を小さくする治療が可能で、刑務所に入る前に何度かその治療を受けてきました。私はその治療を受けることを勧めました。しかし「その治療は辛くはないけど、治療を受けて生きて刑務所を出ても、社会で生きていく自信がないから、もう治療は受けなくていい」と彼は言いました。日を改めて2回治療を勧めましたが、結局、彼の意志は変わりませんでした。彼の家族に、病気の説明をするために連絡をとったのですが、家族は「今まで彼には散々迷惑をかけられてきました。もう連絡しないでください」と言ってきました。彼にとってこの世はとても生きづらい場所だったと思います。それから数か月後、彼は静かに息を引き取りました。亡くなった時、ベッドサイドにいたのは、私と看護師と刑務官の3人だけでした。
マタイ福音書25章31節からの最後の裁きの箇所で、イエスは以下のように述べています。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ。」
イエスは、貧しい人や病人と同様に、罪びとや受刑者との関わりを大切にしようとしていました。イエスはマザーテレサの映画を通じて、私を途上国の困っている人々の支援に招き、そしてまた今は、受刑者と関わることに招いているような気がします。不思議なことに、働く場所は大きく違いますが、「困っている人々のために働く」ということでは、途上国で働いている時の気持ちと、刑務所で働いている時の気持ちはよく似ています。 (きずな No.127 より)
○ 私の父は、晩年、カトリック養護老人ホームの施設長をしたり、刑務所を訪れる教誨師の神父さまのお供をしたり、カトリック社会福祉グループ聖ビンセンシオ会の訪問活動をしたりしていました。刑務所では受刑者の方の話に耳を傾け、帰宅しますと家庭祭壇の前で何時間も祈り続けていました。母は、父に頼まれて幾人かの受刑者の方と文通をしていました。私は今も、亡父の背中を追いながら歩んでおります。
○ 本校の子どもたちの中には、医療関係に将来の夢を託している人が目立ちます。
そこで今月は、Kさんの生き方を紹介しましょう。Kさんは、私たちの修道会のシスター方(コンゴのSr佐野・マダガスカルのSr平間・南アフリカのSr内田)も支援を受けています「日本カトリック海外宣教者を支援する会」の世話役のおひとりです。
○「イエスの招き~途上国から刑務所へ~」
高校1年生の時、学校行事で「マザーテレサとその世界」というドキュメント映画を観て、途上国の困っている人々のために働きたいと思い、医師として中国やパキスタンの赴任も含め12年間国際保健の分野で働きました。その後、法務省の知人から誘われて、日本の刑務所で病気の受刑者の診療を行っています。刑務所で働く前、受刑者は、全身入れ墨で目つきが鋭いやくざのような人々をイメージしていました。中にはそのような人もいますが、多くはそのようなイメージとはかけ離れた弱々しい人々でした。
平成24年末時点の日本の受刑者数は67,000人で、窃盗が最も多く、その主な動機は生活費の困窮です。高齢受刑者数は過去20年間で5.6倍に増加しており、受刑者の高齢化が急速に進んでいます。受刑者の約10%は精神障害(知的障害、精神疾患等)があり、他にも家族関係が疎遠で逮捕前は独居が多く、無職、低学歴などの背景を持っている受刑者が多いといわれています。彼らの背景から推測されることは、貧困と孤独、そして何らかの生きづらさを抱えていたということです。
以前、50代の男性受刑者で、手術できない肝臓癌の患者がいました。彼には知的障害があり、自分の3ケタの受刑番号がどうしても覚えられません。彼は手術ができない肝臓癌ですが、癌に行く血管を詰まらせて、癌を小さくする治療が可能で、刑務所に入る前に何度かその治療を受けてきました。私はその治療を受けることを勧めました。しかし「その治療は辛くはないけど、治療を受けて生きて刑務所を出ても、社会で生きていく自信がないから、もう治療は受けなくていい」と彼は言いました。日を改めて2回治療を勧めましたが、結局、彼の意志は変わりませんでした。彼の家族に、病気の説明をするために連絡をとったのですが、家族は「今まで彼には散々迷惑をかけられてきました。もう連絡しないでください」と言ってきました。彼にとってこの世はとても生きづらい場所だったと思います。それから数か月後、彼は静かに息を引き取りました。亡くなった時、ベッドサイドにいたのは、私と看護師と刑務官の3人だけでした。
マタイ福音書25章31節からの最後の裁きの箇所で、イエスは以下のように述べています。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ。」
イエスは、貧しい人や病人と同様に、罪びとや受刑者との関わりを大切にしようとしていました。イエスはマザーテレサの映画を通じて、私を途上国の困っている人々の支援に招き、そしてまた今は、受刑者と関わることに招いているような気がします。不思議なことに、働く場所は大きく違いますが、「困っている人々のために働く」ということでは、途上国で働いている時の気持ちと、刑務所で働いている時の気持ちはよく似ています。 (きずな No.127 より)
○ 私の父は、晩年、カトリック養護老人ホームの施設長をしたり、刑務所を訪れる教誨師の神父さまのお供をしたり、カトリック社会福祉グループ聖ビンセンシオ会の訪問活動をしたりしていました。刑務所では受刑者の方の話に耳を傾け、帰宅しますと家庭祭壇の前で何時間も祈り続けていました。母は、父に頼まれて幾人かの受刑者の方と文通をしていました。私は今も、亡父の背中を追いながら歩んでおります。
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