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【高校-学校長より生徒へのメッセージ】ドッグウッド(ハナミズキ)の伝説 10月28日 講堂朝礼

ドッグウッド(ハナミズキ)の伝説
                        校長  古賀 誠子

2週間前の阿部先生のお話、最後に皆さんに興味深い問いが投げかけられました、「アシジハウスの建物の周囲に何本、木が植えてあるでしょうか。また、何という木でしょうか。なぜこの木を植えているのでしょうか。」確認してみましたか、調べてみましたか。もし、答えが分かった人がいれば、手を挙げて答えてください。

アシジハウスの前にある木は2本、ハナミズキ、別名アメリカヤマボウシです。英語ではドッグウッド、またはドッグツリーと呼ぶ人もいます。白、薄紅色、濃い紅色の花をつけます。本校にあるハナミズキは、白です。「ハナミズキ」という歌を知っていますね。合唱コンクールでもよく歌われます。「薄紅色のかわいい君のね、果て無い夢がちゃんと終わりますように、君と好きな人が100年続きますように」という歌、知っていますね。911同時多発テロが発生した時に、およそ一週間で一青窈さんが書いた歌だそうです。アシジハウスの前にある木は、この歌に出てくる「ハナミズキ」の木です。

阿部先生のお話を聴いていて、思い出した過去のエピソードがあります。いつだったでしょう、5月ごろでしょうか、新緑の美しい季節でした。私がまだ大学生の時の話です。ゼミの先生と一緒にキャンパスを歩いているときに、この木について教えてもらいました。“Do you know the name of this tree? This tree is very special for mission school. Look at the flower so closely. You will find that the four petals make a cross.” 誰か訳をしてくれる人いませんか? 「この木の名前を知っているかい。この木はミッションスクールにとっては特別な木なんだ。この花をよく見てごらん。4枚の花びらが十字架を形作っている。」

聖書の中には、実際はハナミズキの記述はありません。また、ハナミズキは北アメリカ原産で、イエス様のいたナザレ地方にはなかったので、後付けで作られた伝説と考えられています、しかし素敵な伝説なのでここでご紹介します。

『ドッグウッドの伝説』
イエス・キリストが架けられた十字架は、ハナミズキでした。というのも、そのころのハナミズキは、樫の木ように強くて、堂々としていたからです。そんなことになって、嘆き苦しむハナミズキに、この木で作られた十字架にかけられたイエスが、ハナミズキの気持ちを察し、こう告げました。「ハナミズキよ、嘆くことはない。このあとお前は決して十字架に使われるほどの強い木にはならないだろう。幹は細く折れ曲がり、4枚の花びらも短くなって、十字架の形になるだろう。それぞれの花びらの先には、薄紅色の釘の痕が記され、花の中心には、いま私がかぶっている小さないばらの冠がおかれるだろう。」


確かに、花びらをよくみると、先端には釘の痕のようなものがついています。そして、その釘痕の周りには、赤い斑点があり、それはイエス・キリストが十字架にかけられたときに流した血であると言われています。また、花の中心には黄緑色の粒が固まっていて、イエス・キリストのいばらの冠のように見えます。

ドッグウッド、直訳すると「犬の木」、それは、この木の皮を煎じた汁で、昔、犬の皮膚病をなおしたことからつけられた名前だそうです。今のハナミズキは、細くてしなやかな枝、大変強く、適応性もあり、ひどく乾燥しなければどこでも育ちます。花が美しく、しかも長持ちするというので、最近は、家の庭に植えるシンボルツリーとしてハナミズキを好む人も多いとのことです。皆さんも、これからも教会の周辺や、ミッションスクールで、ハナミズキを目にすることでしょう。

せっかくなので今日は十字架の話をしたいと思います。皆さんは十字架を見ると何を思いますか。人は十字架をみると、まず苦痛、痛み、悲しみをイメージする傾向が強いといわれます。しかし、イエス様は、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15:13)とご自身の十字架での死を目の前にして弟子たちに話されました。そしてイエス様は、そのお言葉通りの生き方をなさったのです。古代ローマのユダヤ総督ピラトの下で迫害を受けられ、罪人である人間(バラバ)にかわり、ご自身が十字架につけられ、息を引き取られました。そのため、十字架は、自己犠牲と愛のシンボルであると言われます。

ちなみに、ハナミズキの花言葉は「公正」、正しく、曲がったところがないことという力強い意味があるそうです、素敵ですね。

私の年になって、初めてハナミズキの伝説について知る人もいます。皆さんは、私より随分早い16、17、18歳で知りました。この先、この木を見ると、十字架を思い浮かべ、「愛」、その意味に再び思いをめぐらすことでしょう。高校生のうちに、聖書のみ言葉に耳を傾け、祈る、人間の心の奧深いところに触れることができるのは、他のどの学校にもない、ミッションスクールのアドバンテージです。そして、卒業する頃には、みなさんには一味違う知識と人間の幅がある。

聖書の箇所を一箇所お読みします。コへレトの言葉12章1節~2節、
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
 苦しみの日々が来ないうちに。
 『年を重ねることに喜びはない』と
 いう年齢にならないうちに。
 太陽が闇に変わらないうちに。
 月や星の光がうせないうちに。
 雨の後にまた雲が戻ってこないうちに。」

繰り返しますが、あなたの若い日に、聖書を読む、廊下に飾られている聖書の「み言葉」に足を止めて考える、親を超える存在に生かされている自分に気づく、この環境に大いに感謝したいですね。自分はどう生きるべきか、社会のために自分をどう役立てるのか、を探し求め続け、その答えにきっとこのキャンパスで出会います。自分の専門の分野を極め、隣人のためにそれを役立てるのは、神様からあなたに課された責任です。「自分を他者に喜んで差し出す人になれますように。」(シスター入江のご講話より)

先日、シスター入江のお話の中にありました、熊本の修道院の庭に1本だけ、群れからはぐれて咲いた白い彼岸花。お庭の手入れをしてくださるおじさんに周辺の雑草をきれいに刈り取られ、大事に取り分けられました。他のどの彼岸花より大切にされていますね。海星にいるということ、あなたたちも一人一人が、神様から取り分けられた存在です、これほどまでに神様から愛されている、大事にされているあなたであると気づきたいですね。

「取り分けられたあなたの花、どんな花が咲くのでしょうか。」

今日も、自信をもって凛として、歩んでまいりましょう。
よい一日となりますように。

アシジハウス前のハナミズキ
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ハナミズキの花
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取り分けられた白い彼岸花
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【高校-学校長より生徒へのメッセージ】「野のゆり」10月14日

「野のゆり」10月14日 放送朝礼
                   教頭  鶴田 葉月
皆さん、お早うございます。この頃はいよいよ涼しく、過ごしやすくなって、夜は、虫の音もきれいです。
さて、中間考査は、手元に返却されましたか?ここは絶対出題されるだろうという予想が当たったか、当てが外れたか…。いずれにしても、準備しただけの結果が出ていることと思います。

私も自分の高校時代・中学時代を思い出します。目標を決め、計画を立てて勉強に取り組み、分からないところは友人に教えてもらうなどして、試験当日を迎えていました。
苦手を苦手で終わらせない、向上心や探究心は、学生時代に最も養われる、…もし試験というものがなかったら、好きな科目の得意な分野だけ興味を持って一生懸命勉強し、苦手な科目は疎かになって、知識が浅く、視野も狭く、学ぶ喜びも味わえない人生になってしまう…と、今でこそ、私たち大人は、理解できますが、当時は定期考査も模擬試験も、もちろん入試も、緊張したし、本当に苦しかった。
試験中は、源氏物語の葵の巻で六条の御息所がそうしたように、幽体離脱し、そして自由に教室内を行き来して、スラスラ問題を解いている人の答案を覗くことができたら…と未熟でくだらない空想をしてみたこともありました。

そして、試験が終われば終わったで、今度は別の不安がわいてきます。本当に大丈夫なのか?苦手科目を、進級・卒業できるくらいには克服できるのか?好きで得意な分野でも、趣味程度でなく、将来、食べていけるくらいに本当に上達するのか?理想はあっても、思い通りに行かない場合の方が多いのでは?と。
…大丈夫、信じて努力を怠らず進めば、実現します。
神様は、私たちのことを心にとめて、一人ひとりの熱意と努力を見てくださり、一番良い結果に導いてくださるからです。聖書の一節をご紹介します。マタイによる福音書6章26節~30節です。

野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡(つむ)ぐこともしない。あなたがたに言っておく。栄華(えいが)をきわめたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草をさえ、神はこのように装ってくださるのだから、ましてあなたがたに対しては、なおさらのことではないか。

今、迷い、悩んでいる人たちも、信じて努力を重ねるうちに、自分が神様の不思議な摂理に守られていることに気づき、自信をもって進んでいけますように。今日も良い一日を送ってください。

【高校-学校長より生徒へのメッセージ】生徒総会によせて 9月10日

「生徒会総会」  ~新旧生徒会長および生徒会執行部交代によせて~
                      校長 古賀 誠子

新旧の生徒会役員の交代が終わりました。令和元年度、旧会長をはじめとする生徒会執行部の皆さん、コロナ禍で学校行事が予定通り実施されない中、もどかしさと苦労をおぼえたことでしょう。その中でもこうして生徒会活動を継続し、毎週講堂朝礼をまもり、学校をまもってくれた皆さんに心から感謝の意を表します。1年間ありがとうございました。そして、新会長を中心とする令和2年度生徒会執行部の皆さん、これから1年間どうぞよろしくお願いします。
さて、本校の生徒会は、生徒手帳68ページ、「本会は、福岡海星女子学院高等学校生徒会と称し、全校生をもって構成する。学校生活の充実、向上をめざすものであり、カトリック精神に基づき全体一致と相互の理解・親睦を深め、愛と奉仕の精神を養い、自主的活動を行う」とあります。「カトリック精神に基づき全体の一致と相互の理解・親睦を深める、愛と奉仕の精神を養い、自主的活動を行う」とは何なのでしょうか、その答えはマザーテレサの祈り、「私をお使いください」の中にあります。生徒手帳21ページです。皆さんと一緒にもう一度お祈りします。

「主よ、今日一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために、わたしの手をお望みでしたら私のこの手をお使いください。
 主よ、今日一日、友を求める人々を訪れるために、私のこの足をお望みでしたら、今日、私のこの足をお使いください。
 主よ、今日一日、優しい言葉に飢えている人々と語り合うため、わたしの声をお望みでしたら今日、この声をお使いください。
 主よ、今日一日、人は人であるという理由だけで、どんな人でも愛するために、私の心をお望みでしたら今日、私のこの心をお使いください」

聖書の箇所をお読みします。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心掛けなさい。それはイエス・キリストにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:3~8)ミッションスクールのリーダーは、権威者でも指導者でもありません。「私はあなたの僕(しもべ)です、お話ししましょう」とへりくだります。そして隣人に寄り添い、隣人のために働くものとなります。新生徒会執行部のみなさん、繰り返しますが、聖書の御言葉を土台とし、全体の一致と、相互理解につとめます。そして、自身の言葉と行いによって、模範を示しながら、全校生徒の声を聴き、導いていくことが皆さんの責務です。
新生徒会執行部のみなさん、学校生活がより充実し、向上できるように、愛すべき母校へとつくりあげ、会則にある通り、「愛と奉仕」を「自主的な活動」をもって、社会で実現できるか否かは、あなたたちの腕にかかっています。「コロナ禍でできないことを数えて嘆くより、自分が今、人のためにできることに目を向けた」新生徒会長、もう一度繰り返しますが、その気づきは大変勇敢で立派なものでした。そして、その志を達成するために、自ら喜んで仕事を引き受けてくれた生徒会執行部の一人一人に、私は心から信頼をもって、エールを送ります。そして、全校生徒の皆さん、コロナ禍において、人からしてもらうことではなく、この状況下でも「私にできることは何か」見つける、そしてそれを自身の言葉と行いで実現できる一人一人でありますように。それが福岡海星の生徒です。今の高校生の働きは、必ず10年後、20年後の日本社会全体に反映されます。皆さんに大いに期待しています、よろしくお願いします。

【高校-学校長より生徒へのメッセージ】「百折不撓」  9月9日 

「百折不撓」
                     校長 古賀 誠子

月曜日の台風はみなさんの自宅は大丈夫でしたか。特別警戒級の台風と予報され、学校は休校措置をとりました。私は、朝の3時くらいから、風の音で、目が覚めて、ずっと起きていました。できるだけ、窓が少ない部屋で寝なくちゃ危険だと思って、久しぶりに子どもたちと一緒に寝ました。土曜日の朝から、これまでに経験したことのない時間帯に、ものすごい量の車でした。何だろうこの車・・・・台風に備えて、買い出しに行く車で大渋滞していたのです。「しまった、冷蔵庫に何もない」と思いました。でも、仕事があるから今は行けない。帰りに、スーパーに行ったら、本当に何もない。今日、夕飯どうしよう・・・そうこうしているうちに、年老いた母の家のことが気になりはじめる、電話して、また手伝いに出かけました。食事は結局、母のところで有難くいただきました。今年は、本当になんという年なのでしょう、コロナウイルス、自然災害といろんなことが次から次へとたたみかけるように起こります。

先日、25年以上前に勤務していたある高校の同僚に会いました。書道の先生です。若いころ、いろんなことを教わりました。厳しい先生でしたが、ついていく甲斐がある方でした。どんなときも、共に悩み、喜んでくれた先生でした。さて、その先生に25年ぶりにお会いし、「書」をプレゼントしていただいたのです。桐箱に入った美しい贈り物、掛け軸をゆっくりと、有難く広げてみると、「百折不撓」(ひゃくせつふとう)と書かれていました。「百」は数が多いことをあらわし、「折」は折ること、折れたもの、「不」は、打消しの言葉、「~でない」、「撓」は、「たわむ、曲がる」。すなわち、百折不撓とは、「何度失敗しても、何度折れても、志を曲げない」、「あきらめない」ということです。中国後漢時代の文人、蔡ようの言葉です。中国後漢時代の橋玄という政治家の話で「橋大尉の碑」(きょうたいいのひ)という碑文に記してあります。「くじけない心を持ち、国の一大事に臨んでも動じなかった」政治家、橋玄の姿を表現したと言われています。働く女性は、やらなければならないことが同時にドンドンやってくる、しかも、優先順位がつけられないくらいどれもこれも大事。強く、たくましく、信念をもって、生きていかなければならないと思います。

さて、9月5日土曜日、中学生とその保護者対象のオープンスクールがありました。本来は、8月5日土曜日に開催予定のものでした。福岡県下のコロナウイルス感染症拡大状況が大変深刻な状況でしたので、急遽オンライン説明会に切り替え、予定していたものは延期せざるを得なかったのです。今回のオープンスクールも、ドキドキしながら、無事開催できますようにと毎日祈っていました。当日を迎えることができたとき、心から有難く思いました。いつもは当たり前のことが当たり前にできなかったので、あらためて、一日一日が神様から与えられている奇跡の連続であると認識し、感謝の祈りをささげます。来校した中学生、そして保護者の方々の感想用紙にこう書かれていました。「生徒さんが生き生きとしておられますね。」「さすがミッションスクール、生徒さんがしっかりしておられます。」「部活動の生徒さんが、爽やかで、礼儀正しく、練習に励む姿が美しい。」感想のほとんどが、生徒の皆さんについてのコメントでした。生徒の皆さんの姿に、「海星」をご覧になられたのでしょう。では皆さんの姿は、中学生やその保護者に何を伝えたのでしょうか。

それは、ミッションスクールの生徒らしい凛とした姿の中にある、「信念」、「強さ」、そして「温かさ」であると確信します。また、「素敵な制服の着こなしです、おしゃれですね。」という感想もいただきました。グレーの制服、グレーは「他を引き立てる色」と言われます。着こなすにはとても難しい色だとも言われます。「上品さ」、「知性」、そして「優しさ」をあらわす色です。本校の修道会、「マリアの宣教者フランシスコ修道会」のシスター方の服と同じ色、つまり皆さん方の制服は、「小さなマリア」が着る服なのです。褒めていただいて本当にうれしかったです。お休みの土曜日でしたが、出てきてお手伝いしてくれた人たち、本当にありがとうございました。

ICT機器を使って、オンラインで用事を済ませることはできるし、確かに今どきでクールな印象もある、そして、それを使いこなさなれば、これからの社会で働けない現実はある。でも、こんな時だからこそ、「人に会いたい」、人に会って、伝えあうコミュニケーションの力を大切にしたい。人と人の心が通い合ったとき、ほかの何物にも代えられない感動と喜びが全身に走る。その時々に出会う人との交わりを、誠実に受け入れ、大切にして、有難く生きていきたいですね、20年後、30年後にまた支え、支えられる奇跡が必ず起こります。そして、その人たちの温かい気持ちが、私は今、心から有難いと思う。

今月のみ言葉は、「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神にむかっているのです。」

私たちは、生徒、教職員のすべてが、神様の計画によって、海星女子学院に呼び集められてここにいます。私も、20年近く前までは全く違う高校で働いていました。でも、なぜか、皆さんと共にここにいます。その理由は、私の力の及ばないところにある。だから、皆さん、今日も共に、「海星の一員として、誇りをもって歩んでまいりましょう。」この交わりは、神様から出たもの、つまり偶然ではなく神様の計画による必然です。そして、この交わりは、神様によって、これからもずっと保たれます。
皆さん一人一人が、ミッションスクールの一員としての使命を担っています、あなた自身を使って、聖書を通して海星で学んだことを、社会に伝え、役立ててほしいと、いつも心から願っています。それだから、海星で学ぶ3年間という短い時間を決して無駄に過ごしてはならない。今皆さんは、必然という奇跡の連続の中に在る。そして、今日も「世界や時代を超えて存在する普遍の真理を知り、先の見えない不安定な状況のなかでも揺らがない信念を持つことができますように」(9月の祈りの意向)と祈ります。

今日も、良き一日となりますように。

【高校-学校長より生徒へのメッセージ】「出会いを大切に」8月26日

「出会いを大切に」~放送朝礼~
                    教頭 鶴田 葉月

新型コロナウイルス感染症拡大のために落ち着かない毎日を過ごし、そうこうするうちに短い夏休みも終わってしまいました。このようなときだからこそ、私たちは、出会いということについて考える機会が増えた気がします。今の自分があるのは、いつ、どんなこと、あるいは誰と出会ったからなのだろう、と。皆さんも、出会いについて、いっしょに考えてみませんか。

私自身は新しいものに出会ったとき、だいたいどんなものでも理解して受け入れてみるほうです。自分ができないことを簡単にやってのける人に出会うと、驚いて、感心します。例えば、同僚がグラフや岩石や歴史上の人物について熱心に語るのを聞くようなとき。あるいは私の息子が小学生のころ、近所の林でとってきたカブトムシの幼虫が、夜中に何匹もふ化して家じゅうを飛び回ったとき。

逆に、私が面白いと思う分野、つまり例えば、まつ毛のまつ?まぶたのぶたの正体を知った時のワクワク感、それについて語ってみても、どうも周りの人にうまく伝わっていない気がする…、そんなとき、それぞれ人は興味のある分野、大切に思う世界が違うのだと納得します。

自分が何かを面白いと思うのと同じように、他の誰かもそれぞれが大切に思うものを持っている。自分が毎日を楽しみたい、と思うのと同じように、他の誰かもその人の大切な人生を生きている。そのことに思いが至るようになると、出会った相手を大切にすることができるようになります。そして自分がしてほしいことを相手にもできるようになります。

聖書では、テサロニケの信徒への第一の手紙 5章14節~18節 には、こう書いてあります。
気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人たちに対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

現代は競争の社会で相手を蹴落とす機会が身近にあるし、時には面と向かわなくても悪口を広め、誰かを攻撃することができます。でも、同じことなら、周りの人に対しては優しく、思いやりを持って接したほうが、気分がいい。自分が悪かった、と分かった時にはふてくされたり開き直ったりするよりも、後悔し、反省して再出発するほうがさっぱりして潔いでしょう。
4月からの学校生活を振り返ってみて、皆さんが、クラスの友だち、部活動や委員会の仲間、授業で教わる先生方との出会いを大切にできていることを心から願っています。授業や係の仕事、部活動で、皆さんの良さが、今日も大いに発揮されますように。