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【高校-学校長より生徒へのメッセージ】目標を目指して  2月10日

「目標を目指して」~期末考査を前に~
                       教頭 鶴田葉月
おはようございます。
先ほどのお祈りでもありましたが、この頃、ルルドの庭の紅梅は、本当にいい香りを漂わせています。中庭ではツバキに、メジロが集まってきて、茂みの中でチョロチョロ飛び回るようすも見られるようになってきました。昨日は学校の玄関に、お雛様も飾りました。さまざまな春の訪れ、海星ならではの景色を、皆さんも、ぜひ味わってください。

さて、明後日からは、期末考査が始まります。ちょうど今の皆さんにぴったりのみ言葉が聖書にありますので、お伝えしたいと思います。それは、フィリピの信徒への手紙3章12-14、

なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

という箇所です。

勉強というのは、本気で頑張れば頑張るほど、学習が足りていないことに気づいたり、間に合わなくて不安になったりするものです。
ただ、それこそが学びのだいご味であって、その苦しみを乗り越えた時、次は間に合うように工夫したくなる、あるいはもっと本格的に勉強したくなるということも多いものです。
今、具体的には期末考査のための勉強ですが、それが、あなたにどう作用して、将来をどう広げてくれるか、わかりません。だから、与えられたこの時を大切にして、緊張するけれども、前を向いてとにかく頑張るのですよ。

ところで、私もまた、早くこの期末考査が無事終わってほしいと願っています。というのも、考査期間中はB型掃除ですが、考査が終わって、一斉掃除に戻るからです。私は、2月から新しく変わった掃除場所で、1年生・2年生と一緒に掃除しています。3年生が自宅学習期間で、いないので、人数が少なく、大変なのですが、担当の生徒たちが、時間になると素早く掃除区域に集まって、時間いっぱいよく活動してくれるので、一緒に掃除するのが楽しみなのです。

明日の建国記念の日が一日、勉強に使えるのはうれしいですね。計画的に、集中して頑張ってください。応援しています。

【高校-学校長より生徒へのメッセージ】人生は実技  

「人生は実技」      教頭  鶴田葉月  1月20日
3学期が始まると、令和2年度も残り少なくなってきたと感じます。そして、入試や、学期末の試験を通して、計画的に勉強してきた成果を試す機会には、自然と次の一年を意識するのです。
そんな中で、自分では頑張っているつもりでもなかなかうまく行かないことにぶつかったとき、ふっと、この状態を変えるために、努力を続けるのはもう止めて、別の道を進んでみようか。そういう思いが、心をよぎるということは、誰もが経験することです。
もし、皆さんが、ちょうどそういう迷いの時期にいるなら、私がまず申し上げたいのは、「これまで頑張ってきたことを、諦めるにはまだ早いから、いっしょに、もう少し頑張ってみましょう。」ということです。苦しい時には、もっと、楽で面白い道や効果的な方法があるような気がしますね。隣の芝生はとかく青く見えるものだから。
でも、人生は実技ですから、例えば人の成功談や表面上の華々しさを見聞きするだけでは、自分には何も身に付きません。勉強でも部活でも進路でも人間関係でも、自分自身で粘り強くチャレンジしてみて、うまく行かなかったら、少しやり方を変えてまたチャレンジする。迷う今こそ、あきらめずに目の前の目標を一つずつ乗り越えてみることです。
そして、その努力は、ぜひ、静かに、自分と向き合い、じっくり考えて工夫しながら進めてください。
と言うのも、私たちは、本当に大切なことは、信頼できる人だけに、誰もいないところで、こっそりと、小さな声で、「あのね、実は…」と話すものです。多くの人が集まる騒がしいところでは話さないでしょう?逆にスポーツの応援や、ライブなどで思いっきり大声を張り上げている時には、何もかも忘れてしまいます。ということは、私たちが、自分の人生や世界についての大切なことを考えたり語ったりするときは、落ち着いた気持ちで、密やかな声で話さなくてはならないということです。
進路や進級について考えなくてはならない今は、しーんとした気持ちが大切。迷っているその時は、ぜひ、一人でじっくり考え、勉強してみましょう。
さて、先週、本校の大学入学共通テストの激励会で、校長先生が引用された武者小路実篤の、「もう一息」という詩が、とても印象に残ったので、ご紹介します。

もう一息
もう一息という処でくたばっては
何事もものにならない
もう一息
それにうちかってもう一息
それにも打ち克って
もう一息
もう一息
もうだめだ
それをもう一息
勝利は大変だ
だがもう一息

…どうですか?いいでしょう。勉強の時、部活動の時、…苦しくても、頑張らなくてはいけないときに、どうぞ思い出してください。今日もコロナ感染に気をつけ、実りの多い一日にしてください。

【高校-学校長より生徒へのメッセージ】3学期 始業式 

第3学期 始業式   「新年あけましておめでとうございます。」
                            校長 古賀 誠子
新年あけましておめでとうございます。
今日は雪が降っています、窓から見える雪景色が綺麗ですね。今日は中庭の様子が、いつもと違っていて新鮮です。さて、みなさんは、冬休みをどのように過ごしましたか。私は、大掃除、お正月の準備、そしてお正月と慌ただしくも充実した日々でした。家族と一緒に大掃除をする、一緒に料理して食卓を囲む、当たり前の時間のように思えますが、とても貴重な時間、大切に過ごしたいものですね。家族あっての自分です、お休みの時は姉妹や兄弟、そして両親のために仕事ができるとよいですね。『私たちには限られた時間が与えられていて、時間とは「命」です』、とシスター入江が先日高3の講演会でおっしゃいました。今日からみなさんと過ごす私の「命」を有意義に使いたいと思います、今年もどうぞよろしくお願いします。

今日の聖書の箇所は、マルコによる福音書 第2章、21節~22節からでした。主イエスと弟子たちが罪人たちと食事をしていることに不信感を持った人々が、「断食」の問題を取り上げて、イエス様に「断食」をどのように考えているかを尋ねている場面です。断食はイスラエルの国においては、空腹の苦しみの中で、自分の罪を悔い改め、神に赦しを求めて祈るという宗教的に大事な意味を持っています。しかし、その本来の目的から離れて、断食することで、人の信仰の深さを計るということもあったのです。ここでは、人々が主イエスと弟子たちが断食するのを見たことがないために、いったい彼らの信仰はどうなっているのかと尋ねています。主イエスはそれに対して次のようにお答えになります。

折りたての布から布切れをとって、古い服に継ぎあてたりしない。そんなことをすれば、破れは一層ひどくなる。そして、新しいぶどう酒は、古い革袋に入れるものではない、そんなことをすると革袋は裂けてぶどう酒が台無しになる。「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」ということです。私たちもクリスマスミサで学んだ通り、神様はお約束された通り、救い主・イエスキリストを私たちに贈ってくださいました。貧しい馬小屋でお生まれになり、私たちのところにこられました。私たちがこの恵みを受けとめて、これまでの生き方を変えなければならない時が今、新年なのです。

では、新しい生き方とは何か。ダラダラ過ごすことをやめる、親の手伝いをもっとする、携帯電話やタブレットに使う時間を減らしもっと勉強する、もっといい成績をとるとか・・・・このように具体的なことを考えるかもしれません。しかし、それはただ自分の生活習慣をなんとか変えるということにすぎません。聖書のいう「新しい生き方」とは、もっともっと深い意味を持ちます。「これまでの生き方」に何かを付け加えることではありません。「これまでの生き方」に不足していたと思われるものを補うことでもありません。それは、わたしたちの人生の土台を変えること、すなわち新たに自分の中に「人生の中心軸」を据えるということです。

「あなたのこれまでの人生の中心軸は何ですか。」「あなたのこれまでの人生の土台は何ですか。」そして「これからはどうですか。」これが、私からあなたへの第3学期の宿題です。新年です、「新しい中心軸」を自分の中に据えましょう。やはり、シスターがおっしゃった「大きな木」がキーワードですね。葉っぱのフレディーが地面に落ちたとき、「自分はこんなに大きな木に連なっていたのだなあ」と改めて知ったと言いました。「大きな木」がまだよく見えていないという人もたくさんいるでしょう。第3学期、一層心を成長させましょう、私もあなたも人としてまた一つステップアップしたいですね。シスターのお話、放送朝礼、宗教の時間、学校行事、そして授業のなかに「大きな木」の答えはきっとあります。直接先生方に尋ねてみてもいいかもしれません。「先生の大きな木は何ですか?」と。

さて、3年生、いよいよ一般入試の始まりです。受験生のアンカーが走り出します。今年はお正月もなかったことでしょうが、誰もが通ってきた道です。あと少し、もう少し、ゴールテープはそこに見えています。このラストランが一番きついですね。今年の箱根駅伝を見ましたか?10区、あと数キロのところで、創価大のアンカーが、駒沢大のアンカーに抜かれました。そこで大きく勝敗が変わった。優勝した大学生ランナーたちは、はやぶさ2の話にでてきたJAXAのように、「周到な計画」と「チームワーク」を持っていた。そして「強靭な精神力と肉体」がありました。大変高い技能をもった選手たちが、それぞれの持ち場で持てる力をすべて発揮する。愚痴らない、落ち込まない、ひたすら前進するための練習だったと選手たちは言います。また、仲間が奮起して走る姿を見て、もっともっと高い課題を自分に課し、仲間と切磋琢磨、伸びていこうと努力する。駒澤大学のアンカー石川選手、自分の仲間の姿を見て、「自分もやってやろう」いや、「やってやる」と勝つ姿を強くイメージして走った・・・陸上部の部室には墨で大きく書かれた文字があった。「己に勝つ」、当たり前のことですが、これを実行するのが一番難しい。人間は苦しくなるとつい自分をかばいたくなる、人のせいにして言い訳したくなる、逃げたくなる、しかし、この弱い自分を超えなければ勝利はないと思っていいでしょう。自分には到底できそうもないことを前に、「できない」と言って諦めるのも自分、「できる」と信じてチャレンジするのも自分です。強い精神力でここを乗り切って欲しいと願っています。まずは来週の「新共通テスト」での健闘を祈っています。次に、「チームワーク」、進路の決まっている3年生は、最後までチームを見守り、チームの世話をすること。駅伝の給水係の姿を見ましたか、自分は選手としては走れなかったが、給水中の選手に伴走しながら、「男だろ、頑張れ」と声をかける姿を見ました。そして、先生たちもあなたたちのそばで一緒に走りながら、「海星生でしょう、頑張れ」と声をかけています。

次に、2年生は3年生の姿をよく見ていてください。これは来年の自分の姿です。3年生は、確固たる目標があるから、選手として走ることができています。どこに向かって走っていったらいいのか分からなければ、腰を下ろしたまま、ずっと同じ場所で休憩していることになります。それは、才能(タラントン)を地中に埋めて隠していた息子の話と同じです。神様はそのような生き方は決して喜ばれません。コロナ禍であっても、時間はいつも通り経過し、受験は予定通り行われます。将来の自分の職業を具体的にイメージし、そこに到達するための短期的な目標を定めながら、「周到な計画」をもって勉学に励みましょう。やってみなければわからない、やってみて見えてくる美しい景色があります。ここにいる全員に神様からの「呼びかけ」callingが必ずあります、耳を澄まして聴き、恐れずに一歩前に踏み出してみてください。

1年生、1年間の総仕上げの時です。海星にきて、何を学ぶことができたでしょうか、宗教行事や宗教、放送朝礼はこれまで中学では経験したことがないものだったでしょう。皆さんの振り返りを見ていると、大変考察が深く、心が動いているのがよく分かります。2年生、3年生へと学年を進めていくと、きっと大きなものを手に入れることでしょう。2年後が心から楽しみです。3学期の始まりに際して、1年生には確認したいことがあります。自身の短期的な目標に目を向けてみてください、勉学、部活動、コース独自の取り組みなど、入学時にたてた目標は達成していますか、一つずつ丁寧に評価してみてください。「やらされている」勉強はつまらない、3学期、もっともっとアクティブに、学びに向かいましょう。

最後に、再びコロナが流行、現在、第3波の真っただ中にあります。東京都、千葉、埼玉、神奈川では、緊急事態宣言が出されました。福岡も、感染者数が急増しており、とても深刻かつ危機的な状況であることには間違いありません。マスク、手洗い、うがい、そして換気の徹底。大きな声で話さないこと、距離を保って友人と話すこと、食事は前を向いてとること、徹底してもらいたいと思います。教育活動が途切れないように、今こそ皆で心を合わせて頑張る時です。また、年末年始も休まず働き通した人がいます。特に、最前線で戦っている医療従事者のご苦労に思いを寄せ、祈ります。あなたにできる最大の支援は、「自分が感染しないこと。」第3学期の始まりです、しまっていきましょう。

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令和3年1月7日 中庭の雪景色


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【高校-学校長より生徒へのメッセージ】クリスマスおめでとうございます。  12月18日

「クリスマスおめでとうございます」 
                             校長 古賀 誠子

 クリスマスおめでとうございます。クリスマスのキャンドルサービス、虹色の一本の大ロウソクから、宗教委員の手を通して、私たち一人一人の小さなキャンドルへと火が渡っていきます。静かに祈りながら、しばらくの間、ロウソクの明かりを皆さんと一緒に見つめました。まるで冬の冷たく澄んだ空気の中で、美しい星空を見ているようでした。「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」 あなたの存在が大きな喜びです。そして、その手の中にあるキャンドルのように、今日も周りを明るく照らしています。シスター入江のお話の中にあったように、私たちは、神様の壮大なご計画のプロジェクトチームの一員です。あなたも、そして私も、同じチームの一員であることに感謝します。

 さて、2学期が終わります。8月上旬から下旬にかけてコロナウイルス感染症の拡大が加速しましたが、9月ごろから少し落ち着きを見せはじめ、2学期は比較的安定して過ごせた学期だったように思います。それでも、新しい生活様式で、いつものようには学校行事を行うことはできず、愛校バザー、修学旅行と大きな行事が延期となりました。そのような中で、学年ごとにクラスマッチができたこと、探究発表会ができたことは大きなお恵みでした。

 コロナ禍であっても、受験は待ってはくれない、3年生はいつもと変わらない日程で推薦入試、一般入試へと一生懸命取り組みました。校長室を訪ねてくれる生徒がいます、「先生、合格しました!」という喜びの報告を聴かせてくれました。コロナ禍の不自由な中で、よく進路を選び取り、勝ち取ったと誇らしく思います。どんな状況の中でも、ぶれない自分、「一本の大きな木」が自分の中にあったから道が開けていったのでしょう。さあ、1月から一般入試が始まります、いよいよ最後の入学試験、3年生のアンカーが走り出します。皆で力を合わせて最後まで走り切りましょう。「神様は、あなたがどれだけ努力してきたか、どれだけの学力を持っているかをご存じです。努力してきた以上の、もてる力以上の結果がでますように」と祈ります。不安を感じたり、焦りを感じたりすることもあるでしょうが、心配することはありません。神様はいつも「最良のもの」を私たちに与えてくださいます。信じて前に進みましょう。

 2年生、大きな成長がみられました。とくに、学校説明会のときの、みなさんの働きが、毎回中学生や保護者のみなさんに高い評価を受けました。グレーの制服の着こなしをほめられ、部活動に励む姿をほめられ、言葉や挨拶が大変丁寧で心がこもっていると言われました。書かれたアンケートのコメントを見るたびに、大変誇らしく思います。2年生を中心とする生徒会が、「こうのとりのゆりかご」の支援のための募金活動を企画してくれました。「こうのとりのゆりかご」の創設者、蓮田太二先生は、「安易な気持ちで赤ちゃんを捨てる女性はいないと信じています。神様からいただいた尊い命を助けたいと悩み苦しむ母親も救うことができないのかという思いが、この「こうのとりのゆりかご」設置へのきっかけとなりました」と話されていました。お産で傷ついた体を引きずりながら、お母さんがわが子の命を守るため、自分で車を運転して赤ちゃんを連れてくるそうです。また、それは、近隣の県の方のみならず、日本全国からということでした。「この小さな命を守る」というお母さんの強い覚悟です。募金の金額は、目標金額をはるかに超えました。学校が大きく前進した一歩でした。皆さんの理解と優しさが原動力となりました。「受けるよりは与えるほうが幸いである」 使徒言行録20:35 何事も、自らが行動に移さなければ意味がありません。口先だけでどんなにうまいことを言っても、人の心を動かすことはできません。そして、自分のものを隣人に分け与えること、それは隣人に対する「愛」がなければできない尊い行いです。

「たとえ、予言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。」
                      コリントの信徒への手紙13章2節

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。」 
                      コリントの信徒への手紙13章4節~6節

 1年生、高校生活8か月が過ぎました。さわやかな、高校生らしい挨拶ができるようになりました。先日のシスター入江のお話、『葉っぱのフレディー』のお話はいかがでしたか、みなさんに書いてもらった振り返りを一つ紹介します。「私は、ますますこの与えられた、そして限られた自分の命を大切にしようと思いました。『葉っぱのフレディー』のお話を聴いて、自分の役割は何なのかを考えました。自分の願う将来に近づけるように勉強し、できるだけ多くの友人と関わって、人間の幅を広げること、それこそが今、自分がなすべきことだと思います。私はよく他人と自分を比べて、落ち込んだり、うらやましいと思ったりすることがあります。でも、人に輝きが見えるのならば、自分にもきっとあると思うので、自分の輝いているところを見つけたいです。そして、自分は自分らしく、自分の役割をなしとげたい。この大切な命を輝かせるために、毎日を一生懸命生きたいと思います。」素晴らしい気づきです。与えられたタレント(タラントン)を活かして、専門の分野を極めること、そしてそれを社会で役立てるのは、あなたがた一人一人の責任です。ここにいるすべての人たちに、神様から与えられた役割があります。あなたの専門の分野に気づき、あなたが高められていくようにと祈ります。与えられた役割を立派に果たしていくためには、あなた自身の努力が必要です。その役割は待っていてもやってきません、勉学に励み、部活動に励み、己の目標を達成すること、多くの人と出会い、冒険する、経験する・・・そこから答えが見つかります。卒業まで、まだまだ先が長く思えるかもしれませんが、実は無駄に過ごす時間はありません。3学期は仕上げの学期ですね、大いに期待しています。

皆さん、よきクリスマスをお過ごしください。 Happy Christmas!

「祈りの道」        服部剛

この手で
床を拭き
皿を洗い
文字を書く

この耳で 話を聴き
この口で 人に語り
この目で 心を伝える

ぬかるみを越えてゆく
日々の場面の働きが
一年のいのりの道であるように

古の書物は云う
「すべてのことには、時がある」
                       
あなたの願いが実るのは
明日なのか 十年後なのか
わからなくとも 準備していよう

隠れたる神は今日も
誰かの瞳を通して
あなたの姿をそっとみている

©3



【高校-学校長より生徒へのメッセージ】ドッグウッド(ハナミズキ)の伝説 10月28日 講堂朝礼

ドッグウッド(ハナミズキ)の伝説
                        校長  古賀 誠子

2週間前の阿部先生のお話、最後に皆さんに興味深い問いが投げかけられました、「アシジハウスの建物の周囲に何本、木が植えてあるでしょうか。また、何という木でしょうか。なぜこの木を植えているのでしょうか。」確認してみましたか、調べてみましたか。もし、答えが分かった人がいれば、手を挙げて答えてください。

アシジハウスの前にある木は2本、ハナミズキ、別名アメリカヤマボウシです。英語ではドッグウッド、またはドッグツリーと呼ぶ人もいます。白、薄紅色、濃い紅色の花をつけます。本校にあるハナミズキは、白です。「ハナミズキ」という歌を知っていますね。合唱コンクールでもよく歌われます。「薄紅色のかわいい君のね、果て無い夢がちゃんと終わりますように、君と好きな人が100年続きますように」という歌、知っていますね。911同時多発テロが発生した時に、およそ一週間で一青窈さんが書いた歌だそうです。アシジハウスの前にある木は、この歌に出てくる「ハナミズキ」の木です。

阿部先生のお話を聴いていて、思い出した過去のエピソードがあります。いつだったでしょう、5月ごろでしょうか、新緑の美しい季節でした。私がまだ大学生の時の話です。ゼミの先生と一緒にキャンパスを歩いているときに、この木について教えてもらいました。“Do you know the name of this tree? This tree is very special for mission school. Look at the flower so closely. You will find that the four petals make a cross.” 誰か訳をしてくれる人いませんか? 「この木の名前を知っているかい。この木はミッションスクールにとっては特別な木なんだ。この花をよく見てごらん。4枚の花びらが十字架を形作っている。」

聖書の中には、実際はハナミズキの記述はありません。また、ハナミズキは北アメリカ原産で、イエス様のいたナザレ地方にはなかったので、後付けで作られた伝説と考えられています、しかし素敵な伝説なのでここでご紹介します。

『ドッグウッドの伝説』
イエス・キリストが架けられた十字架は、ハナミズキでした。というのも、そのころのハナミズキは、樫の木ように強くて、堂々としていたからです。そんなことになって、嘆き苦しむハナミズキに、この木で作られた十字架にかけられたイエスが、ハナミズキの気持ちを察し、こう告げました。「ハナミズキよ、嘆くことはない。このあとお前は決して十字架に使われるほどの強い木にはならないだろう。幹は細く折れ曲がり、4枚の花びらも短くなって、十字架の形になるだろう。それぞれの花びらの先には、薄紅色の釘の痕が記され、花の中心には、いま私がかぶっている小さないばらの冠がおかれるだろう。」


確かに、花びらをよくみると、先端には釘の痕のようなものがついています。そして、その釘痕の周りには、赤い斑点があり、それはイエス・キリストが十字架にかけられたときに流した血であると言われています。また、花の中心には黄緑色の粒が固まっていて、イエス・キリストのいばらの冠のように見えます。

ドッグウッド、直訳すると「犬の木」、それは、この木の皮を煎じた汁で、昔、犬の皮膚病をなおしたことからつけられた名前だそうです。今のハナミズキは、細くてしなやかな枝、大変強く、適応性もあり、ひどく乾燥しなければどこでも育ちます。花が美しく、しかも長持ちするというので、最近は、家の庭に植えるシンボルツリーとしてハナミズキを好む人も多いとのことです。皆さんも、これからも教会の周辺や、ミッションスクールで、ハナミズキを目にすることでしょう。

せっかくなので今日は十字架の話をしたいと思います。皆さんは十字架を見ると何を思いますか。人は十字架をみると、まず苦痛、痛み、悲しみをイメージする傾向が強いといわれます。しかし、イエス様は、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15:13)とご自身の十字架での死を目の前にして弟子たちに話されました。そしてイエス様は、そのお言葉通りの生き方をなさったのです。古代ローマのユダヤ総督ピラトの下で迫害を受けられ、罪人である人間(バラバ)にかわり、ご自身が十字架につけられ、息を引き取られました。そのため、十字架は、自己犠牲と愛のシンボルであると言われます。

ちなみに、ハナミズキの花言葉は「公正」、正しく、曲がったところがないことという力強い意味があるそうです、素敵ですね。

私の年になって、初めてハナミズキの伝説について知る人もいます。皆さんは、私より随分早い16、17、18歳で知りました。この先、この木を見ると、十字架を思い浮かべ、「愛」、その意味に再び思いをめぐらすことでしょう。高校生のうちに、聖書のみ言葉に耳を傾け、祈る、人間の心の奧深いところに触れることができるのは、他のどの学校にもない、ミッションスクールのアドバンテージです。そして、卒業する頃には、みなさんには一味違う知識と人間の幅がある。

聖書の箇所を一箇所お読みします。コへレトの言葉12章1節~2節、
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
 苦しみの日々が来ないうちに。
 『年を重ねることに喜びはない』と
 いう年齢にならないうちに。
 太陽が闇に変わらないうちに。
 月や星の光がうせないうちに。
 雨の後にまた雲が戻ってこないうちに。」

繰り返しますが、あなたの若い日に、聖書を読む、廊下に飾られている聖書の「み言葉」に足を止めて考える、親を超える存在に生かされている自分に気づく、この環境に大いに感謝したいですね。自分はどう生きるべきか、社会のために自分をどう役立てるのか、を探し求め続け、その答えにきっとこのキャンパスで出会います。自分の専門の分野を極め、隣人のためにそれを役立てるのは、神様からあなたに課された責任です。「自分を他者に喜んで差し出す人になれますように。」(シスター入江のご講話より)

先日、シスター入江のお話の中にありました、熊本の修道院の庭に1本だけ、群れからはぐれて咲いた白い彼岸花。お庭の手入れをしてくださるおじさんに周辺の雑草をきれいに刈り取られ、大事に取り分けられました。他のどの彼岸花より大切にされていますね。海星にいるということ、あなたたちも一人一人が、神様から取り分けられた存在です、これほどまでに神様から愛されている、大事にされているあなたであると気づきたいですね。

「取り分けられたあなたの花、どんな花が咲くのでしょうか。」

今日も、自信をもって凛として、歩んでまいりましょう。
よい一日となりますように。

アシジハウス前のハナミズキ
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ハナミズキの花
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取り分けられた白い彼岸花
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