FC2ブログ
  福岡海星女子学院高等学校 福岡海星女子学院附属小学校 福岡海星女子学院マリア幼稚園  

【高校-掲示板】7月29日 放送朝礼 

 「あたりまえ」
                         宗教科 阿部光喜

 新型コロナウイルス感染症拡大により、大きな不安の中、皆さんと一緒に神への祈りのうちに過ごしています。新型ウイルス感染症は全く終息にむかってはいません。地域により差異はありますが、世界的に感染拡大の状況です。
 このような状況の中、高校は始まりました。いろいろの大切な行事が関わりのある生徒だけの参加で行われたり、行事が中止となり、日常の変化に出会い、うろたえいつもと違うことに違和感を感じながら、7月が終わります。
 人の移動がリスクとなり集まることが許されず、対面して話すのを恐れる日常がまたたくまに世界を覆ってしまった。他者との身体との接近にこれほど神経質になり、警戒し合う経験がかつてあっただろうか。
 白血病から復活のオリンピック水泳選手池江璃花子さんが、国立競技場で希望の炎が輝いてほしいと願い、すがすがしい姿でスピーチされた。2020年という特別な年を経験したことで、逆境から這い上がっていくときには、どうしても希望の力が必要、希望が遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても前を向いて頑張れると彼女にしか伝えることが出来ないメッセージに感動した。
 今のこの状況を、様々な不安や困難がある一方で、ポジティブに反応する学生の声を新聞で読んだ。
「コロナがなければ気づかなかったこと」という、日常への感謝、「あたりまえ」のありがたさ・・・各国の対応策を見比べながら、初めて政治に関心をもった。そして日々、自分自身に問いかけられていることがあるという。「自分の命を守る」「他者の命を守る」という意識と行動にかわっていったと。あなたはどう過ごすか。

 数年前、「あたりまえ」という詩を2年生の宗教の授業で勉強したことがあった。わたしがいつものように力説すればするほど、しらけてしまった。なぜだろうかと考えた。それは、あたりまえの毎日のうちはそのものの真価に気づいていないし、考えようともしないということなのだということがわかった。
「飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ」を書かれた井村和清さんをしっていますか。これからお話しする井村さんの生き方を通して気高い風に出会うでしょう。

 1979年1月に癌で32歳の若さでこの世を去った医師。癌が発見されたのが1977年、30歳。転移を防ぐため、右足を切断、しかしその後、癌が肺に転移していることが分かります。井村先生が永眠される1か月前、勤めている病院の朝礼に最後にのぞまれた時の言葉です。 
 「私の心には3つの悲しいことがあります。一つ目は、どうしても治らない患者さんに何もしてあげられない悲しさ。2つ目は、お金のない貧しい患者さんが、病気だけでなく、お金のことまで心配しなければならないという悲しさ。3つ目は、病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも、本当は病気をしている人の気持ちにはなれないという悲しさです。ですから、皆さんに、患者さんに対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです。」と。
 また、闘病生活の中で、井村さんは、1歳6か月の長女飛鳥さんと、2人目の子どもをみごもった妻 倫子さんに、感謝の気持ちと、いつまでも一緒に生きていきたいのに、それができない悲しみ、子どもたちへの想いを手記につづり始めました。

「ふたりの子どもたちへ」
心優しい思いやりのある子に育ちますように。父親がいなくても、胸を張っていきなさい。私は最後まで負けない。お前たちの誇りになれるように。決して負けない。だから、お前たちも、どんな困難に遭うかもしれないが、負けないで耐え抜きなさい。
 思いやりある子とは、周りの人が悲しんでいたら悲しみ、喜んでいたらその人のために喜べる人だ。思いやりのある子は周りを幸せにする。周りの人を幸せにする人は、周りの人によって、もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。だから、心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい。それが私の祈りだ。さようなら。私はもういくらもお前たちの傍らにいてやれない。お前たちが倒れても、手を貸してやることができない。だから、倒れても、倒れても自分の力で起き上がりなさい。さようなら。お前たちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。雪の降る夜に   父より。

 父の子を思う心は海のように広く温かく、深い愛であふれているのでしょう。子どもが困難に出会ったときに、そばにいてあげられず、守ってあげられないのは父としてもつらいことだと思います。しかし、この手記が、残された子どもたちの心の支えになることでしょう。
日常のささやかな事柄の数々をあらためて思わせてくれる詩。医師であり、父としての井村和清さんの詩を紹介します。皆さんのこころに気高い風にこころがとまりますように。

「あたりまえ」
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
しかし、誰もそれを喜ばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、 そしてまた朝が来る
空気を胸いっぱいに吸える。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
なぜでしょう  あたりまえ    
『飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ』より  井村和清

 生きたくても生きられない命があります。無念のまま死ななければいけない命もあります。生かされていることに感謝して、あたりまえのことに喜びを感じ、幸せを感じ、周りの人に感謝をして、一日一日を大切にしていきたいと思います。私はシスター入江がお話しされたお言葉がいつもこころから離れません。それは

「風はどこから吹いてくるのか人は誰も知らない。
愛を呼び覚まし、心を潤し、いつの間にか私の中を吹き抜けていく
それは気高い キリストの思い この風に気づいてください。
風の思いに吹かれた よい一日でありますように。」 
                     シスター入江のお言葉をおかりしました。

【高校-掲示板】出前授業(ドラマ)を行いました。

 英語科の高田先生とジャズメン先生が長丘中学校にてドラマの授業を行いました。
ドラマの授業は体全体を使って英語を話す海星独自の授業で、国際教養コースの
専科の授業です。ジャズメン先生による感情表現のレッスンに加え、高田先生が国際
教養コースや海外留学について説明しました。
 長丘中学校の生徒の皆さん、ご清聴ありがとうございました!

 「海星の英語」については、こちら

長丘中学校
▲ドラマレッスン

【高校-掲示板】7月の祈りの意向  「今」

7月の祈りの意向  「今」
                           宗教科 阿部光喜

教室、廊下に貼りだされた、今月のみことばに足が止まりましたか。読まない、見ていてもみえない、読んでみただけ、そこに「これってどんな祈り」があるのかと疑問を持たなければ神様の祈りを理解することはできないでしょう。
さてあなたは?あなたは立ち止まり考えてみましたか?
6月22日に福岡教区カトリック教会のアベイヤ司教様が学院においでになりました。皆さんが心をこめた祈りの花束をお贈りいたしました。司教様は皆さんからの祈りの花束を読まれ、いつも皆さん一人一人のため神様にお祈りをささげていらして下さっています。アベイヤ司教様を通してまかれる神様からの種が豊かに実を結び、希望の光のうちに私たちも司教様と一緒に力強く歩んでいくことが出来ますように。 神様、私たちの感謝の念を受け止めてください。

 さて7・8月のテーマは「今」です。

 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」
                     マタイによる福音書 第6章34節

〇「どんな時でも神から大切にされていることに気づいて」いけますように
〇「先にあるものばかりに気をとられるのではなく目の前のことを一つ一つ丁寧に取り組んでいけますように」と、願いがこの「みことば」には込められています。

このみ言葉を読むたびにいつも心おだやかになり、明日のことを神様にゆだね、安心し、素直に神様に願い、祈ることができました。 しかし、毎日の生活では、私の心には神様を忘れ見守られていることすら意識の中にありません。ただひたすらまっしぐらの私です。 「どうしよう」「どうしたらよいのか」「できない」「明日まで」といった崖っぷちに追いやられた時だけ「神さま」何とかしてくださいと祈る私がそこにいました。今考えてみましたら、苦しみや困難、逆境には必ず意味があるのではないかということがあるようにこの年になって思えるようになりました。できましたら、神さま私を苦しめないでと祈りたい。しかし、苦労を避け、努力をいやがり、悩むことを避けるならば、自己の成長、発展はないのではないかと思えるからです。だからといって、苦労をかってまでしますよ、神様頑張りますとは言えませんが、その苦労はきっと「今」、今私にとってなくてはならい意味があるのだと確信しています。 私の言葉を信じてみませんか。そしてあなたも後になり、思い返してみると神様が私に与えてくださった試練が実は苦しみではなく、私だけの恵みであったことに納得し理解することでしょう。私たちは悩み尽きないものです。私たちの毎日は迷いと悩みの連続です。思い煩うなといっても悩みます。悩まなければわからない大切なことがそこにあるからです。今日の聖書のみことばは、イエスが語った言葉とも言われます。「明日のことまで思い煩うな、明日のことは明日自らが思い煩うであろう」ややもすると、努力もしないで、まあ、何とかなるさと、安易に考えてしまいがちなみ言葉に取られやすいのですが、実は、このみ言葉に心休まるのは、一生懸命頑張った人だけが静かに神にひざまずき、感謝することができるのです。そこにそっと神様のあとおしの息吹があるからなのです。
 6月のシスター入江の放送朝礼で、「風はどこから吹いてくるのか人は誰も知らない」愛を呼び覚まし、心を潤し、いつの間にか私の中を吹き抜けていく、それは気高いキリストの想い、風の想いに吹かれた よい一日でありますように」と結ばれた。なんとさわやかな美しいシスターのお言葉か。一日一日を大切に過ごさなくてはと深く心に刻まれました。「あしあと」という詩を聴いてください。試練の時に、懸命に生きることへの励みにきっとなるでしょう。

「あしあと」
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」
                   マーガレット・F・パワーズ

7,8月を大切に、
神様から愛されていることに気づく、「風」に気づく私でありますように。
ご一緒にお祈りください。

【高校-掲示板】令和2年度 体験入学会・説明会の日程

令和2年度 体験入学会・説明会の日程

中学生や保護者の方を対象にした体験入学会・説明会を開催いたします。


第1回 秋の体験入学会・・・・・・・・・・・・・10月3日(土) 9:30~12:30(受付:9:00~)

第2回 秋の体験入学会・・・・・・・・・・・・・10月24日(土) 9:30~12:30(受付:9:00~)

入試説明相談会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11月21日(土) 9:30~12:30(受付:9:00~)

※詳しい内容につきましては、後日、ホームページにアップします。